Scribble at 2023-05-14 01:10:36 Last modified: 2023-05-14 13:40:32

SNS はインチキなソーシャル・メディアだという気がしています。その理由は単純で、いまだに言語や地域というデモグラフィーの島宇宙でしか大半の利用者が繋がっていないからです。これを読んでるあなたは、Twitter や Facebook を使うようになって、ウクライナのパン屋さんやボツワナの水道工事技術者と毎日のようにメッセージを交わすようになりましたか? あなたが高校生なら、もう物心ついたころには Twitter があったわけですが、殆どの高校生は同級生や家族とメッセージをやりとりしているのが関の山でしょう。芸能人やスポーツ選手や著名人をフォローはしているかもしれませんが、一方的なフォローなんてものは「人間関係」でもなんでもありません。一方的だという意味では、ビデオでドラマや野球中継を予約録画してるのと同じです。それに、そういうセレブのアカウントはマネージャや広告代理店の下請けスタッフがツイートしていることも多いですし、それどころか発信するだけのアカウントはボットだったりします。

GPT-4 のようなテキストを高度に扱える技術が実用化されて、自動翻訳の性能が精度やスピードにおいて格段に進展すると、もしかするとエジプトの警察官やシンガポールのタバコ屋さんが(日本語に訳して)なんと言っているか分かるようになるでしょう。したがって、何かキーワードを検索すると海外の人たちが同じ話題について喋っている様子が分かるようになります。でも、だからといって皆さんが新疆ウイグル自治区の農家やフランクフルトの会計士をフォローするようになるとは思えません。なぜかと言えば、もともと「ソーシャル」とは身近な付き合いていどの意味しかないからです。独自ドメインやウェブサイトの制作についても、かつてはウェブ制作会社のイカサマ営業が「御社のホームページをインターネットに公開して、世界中から取引を呼び込もう」みたいな嘘っぱちをバラ撒いていました。日本語のページしかないのに、どうやってインド人やカナダ人が文章を読んでくれるのでしょうか。いや、そもそもインド人やカナダ人が日本語でコンテンツが書かれているだけのサイトを検索して見つけようとするでしょうか。なんで、そんなことをわざわざする必要があると思うのでしょう。御社が提供しているていどの、平凡で、結局は中国人が作ってるような、どこにでもある既製品なんて、売ってる店はインドやカナダにも無数にあります。

もちろん、国際版のサーバがあるゲームで知り合ったアメリカ人とチャットでやりとりして、その人物が経営している IT ベンチャーに join した有能な日本の中学生という事例が全くないとは言いませんし、そのチャンスが増えるなら良いことかもしれません。でも、それは非常に珍しい事例であり、チャットもインターネットもなかった江戸時代に船が難破して外国へ流れ着いた人が海外で得た経験を日本に持ち帰るといった事例が起きる確率と、たぶん同じくらい珍しいことです。

僕はインターネットの効用を否定したいわけではなく、SNS が何かの意味で有効であるというたくさんの(しかし些末だとは思うが)事実を無視しているわけでもありません。Twitter でツイートを見たからこそ、何かの犯罪や災害に襲われずに済んだ人もいたでしょう。Facebook でメッセージをやりとりしたからこそ成功した殺人やカルト教団への勧誘もあっただろうと思います(「有効」とはそういう意味です。なにも慈善事業や嬉しいことだけに使えるわけではないでしょう)。でも、だからといって SNS がなければあれができないこれができないというのは、僕にはおかしなことに思えます。SNS は全くの道具であり、しかも他人が勝手に作って提供している商業サービスにすぎません。自分が生きるために必要不可欠な条件が、他人の作って運営しているサービスだという人は、それこそ Facebook というビジネス・モデルの「部品」であって、一個の独立した人であるどころか「ユーザ」ですらありません。

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