Scribble at 2026-08-31 12:56:17 Last modified: 2026-08-31 13:01:54

辞書や教科書、あるいはハンドブックのような編纂物についても、それを個人が単独で書いたり編纂することは大きな負担となるし、学術研究者としても多大な時間を研究とは別の目的に費やすこととなる。或る学問や研究分野の教育や啓発が主たる関心であったり責任であるという方でもない限り、人類の知識(それが当人の個人的な興味の対象であろうと)をわずかでも進展させ押し進めることこそ学者の本懐というものであろうから、教科書や辞書の編纂も一つの業績ではあるが、やはり学問に対する貢献としては一歩下がるものと言えるだろう。しょせん、有能な人物の多くは教科書など読んではいない。

しかし、教科書や辞書の制作は多くの労苦を必要とする仕事ではあるが、やってもいない人々が過剰に時間や労力を要すると想像したり、一生の仕事であるかのような目標として無条件に敬遠するのは不見識というものであろう。実際、僕が所持している小西甚一氏の『基本古語辞典』(新装版、大修館書店、2011)を例にとると、彼はわずか4年で約600ページになる古語辞典を単独で書いている。冒頭で小西氏が述懐されているように、頻度などの統計処理はパソコンを使っていない時代の作業によるため、現在なら遥かに短期間で終わる処理であろうから、2020年代に小西氏が着手していたら更に短い期間で作業が終わったに違いない。ましてや生成 AI を使えば、本文の原稿ですら文体など一定の条件を厳格に指定して語釈の情報をソースとして用意しておけば、下書きの段階なら600ページ分でも数十分ていどでテキストが生成できるはずだ。

しかし、もちろん語釈をしっかり準備しない限り、"garbage in, garbage out" を持ち出すまでもなく、AI スロップが吐き出されることとなる。小西氏は長年にわたる研鑽の積み上げによって、この準備ができているからこそ、そこから先のタスクが4年でも完了したわけであり、もちろんいきなり若手の学者が4年で「分析哲学事典」を書けるとは思わない。なので、生成 AI で特定の作業や処理が確実に正確あるいは短時間で終わることを期待してもいいとは思うが、だからといって全体の作業が数日や数か月で終わるなどと考えるのは妄想であって、しかも書店に並んでいるゴミのような哲学の読み物を眺めたていどの素人が小手先で「科学哲学事典」を作れるなどと考えるのは、少なくとも生成 AI についての誤解と辞書の制作についての誤解という二重の誤解による傲慢な錯覚でしかない。生成 AI がどれだけ高性能になろうと、素人に辞書や研究書や教科書は絶対に書けないのである。

  1.  
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る