Scribble at 2020-05-23 11:57:06 Last modified: 2020-05-25 14:00:13

高校数学、僕らが習った頃は「代数・幾何」という科目名だったのだが、いまなら「数学B」で勉強するベクトルで、ベクトルの合成という話題が出てくる。これは教科書の中ではおおむね二通りの仕方で解説されており、一つは平行四辺形を使って、もう一つは三角形を使う。そして、僕が高校時代に困惑させられたのが、「平行四辺形なんて使う意味があるのか?」というものだった。

なぜなら、平行四辺形を使う方法(parallelogram method)で合成されたベクトルを図示するためには、合成したい二つのベクトルについて、それぞれに平行な線を引いて交点を求めるという作図をしなくてはいけないのだが、《平行四辺形を作図する》ためにだけ、二つのベクトルの始点を同一の点に合わせないといけないということが分かる。これに対して、作図するために平行線を引くという作業は同じでも、三角形を使う方法(triangle method)だと、どちらかのベクトルの終点にもう一つのベクトルの始点を合わせて平行線を1本だけ引けばいいのだから、平行四辺形など使わなくてもいいのではないか・・・

しかし、ここには見落としがある。それは、三角形を使った方法だと一方のベクトルの終点に始点を合わせて描くベクトルの大きさが、ただ単に線を引くという作業だけでは確定できないからだ。そこで引いている線は、言ってみれば単なる補助線でしかない。それがベクトルを表すためには、もちろん向きは分かるとしても大きさが作図という作業だけで求められなくてはいけない。確かに、合成したいベクトルの大きさを測って、その補助線に適用するという手順で大きさは設定できるわけだが、それなら平行四辺形を使う方法とは別の手順を要することになるので、三角形を使う方法の方が手順が少ないから合理的だなどとは言えなくなる。

簡単に言うと、僕が数学の教科書とか参考書に求めているのは、こういう解説なのだ。こういう解説があったうえで両方の仕方が紹介されてこそ、どちらも紹介するだけの理由がある方法なのだと納得できるのであり、単に二通りのやり方がありますと天下り式に記述されても、それは解説ではない。おそらく、教師が使っている教科書ガイドにすら、上記のようなことは書いてないだろう。僕が思うに《論理的な理解》とはこういうことなのであり、パズル的なセンスで数学が得意な学生というものは、数学科のプロパーにも多いと思うが、僕に言わせれば《論理的でない感覚でやれているからこそ数学ができる人々》なのだ。

他にも、これまで何度か言及してきたように、厳密かつ正確に説明さえすればわかるものを、教えている人間が雑な理解をしているせいで相手を混乱させる説明というものある。或る命題が真であれば、或る条件法において条件法が真と評価されるためには後件が真でなければならない(前件が真で後件が偽なら全体は偽となってしまう)。こういう場合の前件を十分条件という。次に、或る命題が真であることは、或る条件法が真と評価されるためには必要だが(後件として偽だと、前件が真であるときに条件法は偽と評価されてしまう)、それだけでは前件が偽となっても条件法は真と評価できるため、十分とは言えない。こういう場合の後件を必要条件という。高校の数学で十分条件と必要条件の説明が誤解を招きやすいのは、要するに論理学の概念を論理として説明せずに、高校教員をはじめとする応用数学の実務家になじみ深い雑な意味(いわゆる「数学的センス」というやつ)で説明しようとするからだ。

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