Scribble at 2017-07-20 09:18:39 Last modified: 2022-09-21 09:46:41

なんか大学生が使える安いノートパソコンがないからどうのとか言われてるけど、大学生が全員ノートパソコンを持ったらどうなるというのだろうか。そこが欠落してたら、単なる「俺って若者のこともちゃんと心配して先進的なこと喋ってるっぽい」系の自意識トークだよ、きみたち。だいたいねぇ。家電店やカカクコムすら見たことないのかもしれないけど、新品でも2万円くらいからあるんだよね。いかに重いとは言っても Word を使ったりネットで検索するには、いまやエントリーレベルでもオーバースペックだ。いったい何が不足なの? あなた方の調査能力が、じゃないの? ついでだから、その2万円が高いという人々に言っておくと、恐らくそういう学生でも2年おきにスマートフォンとかタブレットなどと言われている10万円弱の玩具を月賦で買い替えてるわけだけど、いったいどこにそんな原資があるのかな?

だいたい、なんでこういう話が出てくるのかと想像してみるに、学生のレポートを管理したり資料を配布するのに便利で、つまるところ教員の負担を減らし、いつも Twitter で騒がれているように「秘書も持てない可哀そうな天才学者」どもをどうにか「システム」とか(笑)、「社会」とか(笑)、そういう(実は大半の社会科学プロパーにおいても殆どまともに理解されていない)幽霊みたいな何かがサポートするようにしなくてはいけないということなのだろう。なんとなれば、当世は多様性が尊ばれるので、どんな大学教員にも等しく研究する機会は与えられなくてはならず、それは各人に区別なく科研費と秘書をあてがうことで初めて成し遂げられるというわけだ。

かような子供っぽい描像が端的に言って行政に頼る社会主義的な発想以外の何ものでもないことは明らかなのに、彼らは何か自由社会でそれを成し遂げる正当化があるかのように語る。このような、擬制としてであれ理想や理念に携わってもいる筈の学術研究者が、これほど社会科学的に低レベルな次元で自分たちの二枚舌に気づかないとは、非常に怖いことだ。

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