Scribble at 2026-07-29 22:14:21 Last modified: unmodified
Substack は便利だが、あなたの家ではない。作家は自分の独自ドメインのウェブサイトを持ち、そこを作品の“本拠地”にすべきだ・・・というのが、上のブログ記事の主張である。独自ドメインでサイトを運営している者として、言わんとすることは分からなくもないが、しかし僕はこのような主張には反対である。確かに、僕はかつて当サイトでは相当に古い記事の一つである、「ブログがメジャーな『表現』手段になる日? 冗談だろ。」という論説で、ブログ・ホスティング・サービスや SNS は「表現」の場所ではなく、他人のいたずらやハッキングなどで簡単に情報伝達が阻害されたり、行政や立法の規制によっていくらでも価値が失われたり、あるいは通信事業者やサーバ管理会社やドメイン管理組織の事情でいくらでもコストが上がったり契約条件が左右されてしまう、およそメディアとして安定もしておらず、中立でもなく、そして自由でもないツールでしかないし、ましてやこれらの事業者は基本的に表現などのために事業を営んでいるわけではなく、全ては収益やマーケティングの論理によってドライブされている。表面的に言論や表現に貢献しているのは、それが得な状況だからにすぎない。したがって、上のブログ記事の著者とともに、Substack だろうと Medium だろうと note だろうと Qiita だろうと Zenn だろうと「はてなブログ」だろうと(なんで「はてなブログ」を括弧で表記しているのかというと [以下省略])、こんなサービスを使っていて表現もクソもないというのは分かる。
でも、独自ドメインを取得してサーバを借りてサイトを運営していれば表現の場を手にしてコントロールできるというのは、僕のようなプロのエンジニアでもある人間に言わせれば度し難いセンチメンタリズムだと言わざるをえない。そもそも、インターネットがなかった時代においてすら、文筆家や作家やライターというものは、出版社や新聞社などとの契約によってしか市場に流通する文章を出版したり、あるいは自分の文章が掲載された雑誌や新聞を公にできなかったわけである。もちろんだが、数年前に放映された蔦谷重三郎の生涯をモデルにした大河ドラマをご覧の方は子供でも知っているように、このようなことは数百年前からの話だ。こういう人物が「表現」という言葉で何を思い描いているのかは分からないが、少なくとも駅前の歩道橋で自費出版した詩集を売る女子大生といったテンプレでもあるまいし、現在のウェブに相当するオーディエンスを想定しているのであれば、それを自らの資産や時間や能力だけで開発したり構築したり運用するなんてことが不可能なのは、高校の『情報I』で教えられなくても分かるような話だろうと思うのだ。そういう、他人の成果に乗っかって「自由」や「自立」を叫んでいられるのは、はっきり言って大学生までの話であろう。