Scribble at 2026-03-12 19:01:45 Last modified: 2026-03-12 19:07:28

英語あるいは言語や英語の勉強について言われている俗説というものは、非常に根深い。なんと言っても、自分たちが中学校へ入ってから大学を出るまでの、最低でも10年間にわたって外国語と何らかの関りがあったという経験だけで、人はいっぱしの経験者ヅラして何事かを正しいとか事実だと思い込んでしまうからだ。これは、他にも大多数のサラリーマンが、実際には企業人として殆ど「未熟者」として定年を迎えているのが実情であるにもかかわらず、30年以上にわたって勤めてきたというだけで何らかの経験を積んできたと過信・妄信して人生を終える悲惨さに通ずるものだ。もちろん、それを僕らは同じ凡人として笑う資格などないが、しかし自問を促すことはできる。当サイトで掲載している英語の勉強に関する論説も、ただ単に俗説や詭弁や自己欺瞞を問うたり指摘することが目的であって、僕のやりかたが正しいとか「解」であるなどと傲慢なことを言いたいがために書いたり公開しているわけではない。なので、少なくとも冷静に考えたらおかしいことを信じ込むことだけは止めるよう注意をうながしたい。

たとえば、そういう妄信の一つに、冒頭でも「10年間にわたって」と書いているのだが、実はアメリカのネイティブはもちろん、英語を実生活で習得している多くの国でも、その「10年間」は日本と全く内容が違う。もちろんだが、ネイティブは10年間を英語だけで過ごすし、旧植民地などの国で英語を習得している人々であっても、暮らしたり働くために嫌でもなんでも英語を見たり聞いたりして対応せざるをえないわけである。それに比べて、日本人は同じ「10年間にわたって」と言っても、その大半は英語なんてやってない。代わりに、数学や古文の勉強をしたり、スマホで友達と話していたり、ひたすらゲームに熱中していたりする。そのあいだ、やっていることの大半は日本語でのやりとりであって、日本人が英語に触れる機会なんて、実は学校や塾や予備校の授業と予復習、それからインチキな和製英語の歌を聴いたりするときくらいのものだ。つまり、ネイティブが10年間のうちで英語を使っている時間が10年(つまり100%)だとすれば、日本人が10年間のうちで英語を使っている時間は、平均して1日に2時間と仮定しても、せいぜい合計して1年弱であろう。そりゃ、インドネシアの若者が10年にわたって英語を学ぶのにくらべて、たかだか1年しか英語に触れていないも同然の日本の若者が英語において圧倒的に劣っているのは当然なのだ。つまり、「大多数の日本人は中学から大学までかかっても英語の勉強がぜんぜんできていない」というのが事実なのだ。

二つめの俗説は、「国際人」というインチキなフレーズだ。つまり、これからの日本の若者は「国際人」を目指さなくてはいけないという出鱈目である。しかし、実際には大半の企業で英語なんて使わない。楽天では公用語を英語にしたという報道が注目を集めたのは、いったい何年前の話であったろうか。あれから、おそらく10年以上が経過しているはずだが、日本国内のしかも上場企業や大企業ですら、英語を公用語にしている会社なんてユニクロとホンダ、それから資生堂の一部の部門だけであろう。多くの企業で英語を導入しているのは確かだが、それはもともと英語で交渉したり契約したり、あるいはシステム開発でオフショアをやったり外国人の人材を登用している企業に限られる。大多数の企業では、英語なんて必要ないし、そういうものを社員に求めたところで実効性などないだろう。たとえば英検準1級をとったところで海外の企業と交渉などできないし、できたところで大多数の企業で売り上げがどれほど増えるというのだろうか。そして、それに見合う給与体系にできる企業がどれだけあるだろうか。たとえば、僕は現に仕事で NIST の SP-800 といったセキュリティ文書を読んでいるが、だからといって給料が何割か上がるなんて期待していないし、実際に英語で仕事ができていても給料なんて全く上がっていない。これは、「インターネットという夢のようなテクノロジーで自社の商品が世界中に売れるようになる」などというフレーズを連呼していた、インチキなマーケティング屋やオンラインの営業代理店などが30年くらい前に語っていた嘘っぱちと同じであって、英語なんて使えても会社の売り上げは増えないのである。もちろん、外国人を差別しないとか多様性がどうのという意味で、メンタリティとしての「国際化」なるものは身に着けてもよい価値観や考え方のスタイルであろう。だが、そんなことは英語を学ばなくても身に着けられる。

そして三つめは、英語のニューズやポッドキャストを聞き流すだけでリスニングの力が身につくとか、英語が習得できるという嘘っぱちだ。そして、英語の教育者や教材を広めている出版社は、赤ん坊が親らの会話を聞いているだけで英語を習得しているかのような、発達心理学・発達生物学としても全く無知としか言いようがない出鱈目を言語習得の理想的なプロセスであるかのように錯覚している人が、いまだにたくさんいるという不愉快な状況について、相当な割合で責任があると思う。実際には、赤ん坊は周囲の声を聞くだけではなく、自ら鳴き声を上げたり体を動かして(もちろん、ウンコや小便を漏らすことまで含めて)積極的に反応しており、自分の見聞きしていることが何であるかというコンセプトを会得するために色々な認知機能を動員するものだ。リスニングにおいても、一つ一つの単語を聞き逃さないよう注意したり、聞いている途中でも話し手の癖や訛りなどにも気づく必要があったり、内容そのものも妥当であるかどうか考えることが求められる。聞き流すなどという単純な反応だけで言語を習得できるなんてことは、学習効率から言ってもありえない。それこそ、一生かかっても無理であろう。そもそも、聞いて内容が分からないようなものを教材にしたところで無意味である。

あと、僕は中学時代からビートルズを聴いていたし、英語の授業でもビートルズの曲を歌わされたりしたものだったが、洋楽を聴いて役に立つのは、せいぜい発音するときの流暢さや効率を学べるていどのことであって、洋楽を聴いたくらいで英語が聞き取れたり読み書きできるなどということはありえない。特に、小説や映画で英語を学ぶという人々にも通じる話だが、こういう「作品」で使われている表現の多くは省略や転置といった特殊な用法が多いし、そもそも大袈裟だったり極端だったりと他人に向かって使えるような表現でもない。これらだけで学んだ人が話す英語というものは、まるで歌舞伎役者が日本語で話しているかのようなものだし、古文や漢語表現で話すようなものだ。出会った近所の人とあいさつするのに、「本日は最適な天候でございまするな」などと言う人はいまい。ちょうど、英語でそういう話し方をするのと同じである。たぶん、大多数のネイティブからは何かの精神疾患だと疑われるはずだ。

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