Scribble at 2026-06-13 18:12:21 Last modified: unmodified
https://www.markupdancing.net/archive/note.html?date=86a4f4eec29d26881d2bee0d43f586c0
この議論を、暇なので続けよう。哲学者でも暇であれば倫理学の話題くらいは取り上げてもいいはずだ。ちなみに GIGAZINE は The Conversation というメディアの記事を元に書いているが、もともとは Philosophy & Technology という学術論文の議論から始まっているし、もっと言えば最近の分析哲学で流行している "epistemic justice"(認識論的正義)というアプローチの研究分野が背景にある。
最初に取り上げるのは、S. Sahebi and T. Montefiore, "Is Undisclosed LLM Use Morally Wrong?" Philosophy & Technology, Vol.39, (2026), https://doi.org/10.1007/s13347-026-01094-5 という論文で、ここでサヘビ(Siavosh Sahebi)とモンテフィオーレ(Thomas Montefiore)が、LLM の使用を意図的に隠す行為は道徳的に非難されるべき欺瞞の一種になり得ると主張したのだった。彼らの論拠の核は、ニューウェイとレニックが提唱した「認識論的剥奪(epistemic deprivation)」という概念で、これが epistemic justice の用語だ。で、サヘビらは、LLM の使用を開示しないことは、聞き手が話し手の本当の能力(コンピテンシー)を評価するために必要な重要情報を不当に奪う認識論的な不正義であると位置づけた。例えば、代筆された謝罪文やマッチング・アプリのフェイク・メッセージは、本来備わっていない魅力や知識を偽装する「見かけの状態を取り繕う欺瞞(superficial state deception)」や「外部状態の欺瞞(external state deception)」を引き起こし、聞き手が事実に基づいた適切な判断を下す権利を侵害するため、道徳的に不当であるというわけだ。
これに対し、上に紹介する論文でメトカーフ(Thomas Metcalf)は、サヘビらの議論を評価しつつも、それが非開示の倫理的問題の限定的な一部しか説明できていないと反論する。メトカーフは、自身の経歴の不利な事実を隠す行為の多くが直ちに不当とはみなされない例を挙げ、能力情報の剥奪だけでは道徳的過失の十分条件になり得ないと指摘している。同時に、書き手が実際に高い能力を有しており能力的な欺瞞が生じない場合(例えば、文章力のある配偶者が時間がなくて記念日の手紙を LLM に代筆させた場合など)であっても、私たちはその非開示使用に強い道徳的拒絶感を覚えるかもしれないという。そして、ここでもまた僕は同じこと(「場合による」)を言うしかない。
僕自身の話をさせてもらうと、僕はこれまでに数多くの業種でアルバイトを経験してきた。サウナでマッサージを担当する女性スタッフのアサインを管理したり(歩合制なので客の取り合いになる)、塾で中学理科の先生をやったり、第一屋製パンの大阪空港工場で食パンの包装と仕分けを担当したり、鉄工所で穴あけ加工したり、CAD ソフトで交通量や事故の記録を道路のデータに書き加える仕事だとか、簡単なバーテンダーもやったことがある。こういうアルバイトをやるときに注意しないといけないのは、学歴を「調整」して書かないと即座に反感を買うということだ。「なんで大学院に行ってるやつが、こんな仕事に応募してくるのか。バカにしてるのか?」というわけだ。もちろん、これは僕の思い込みではなく、実際に履歴書へ本当の学歴を書いたがゆえに、何度も面接の場で経験してきたことである。とりわけ大阪で働くときは、高校までの学歴すら「調整」して、公立の学校に替えないといけないほどだ。これを、LLM を使った事実を隠すのと同じように、自分の本当の能力や学歴を偽ったなどと非難されるのは、どうにも納得がいかないことである。
学者にしてみれば、馬鹿のくせに賢いフリをする人間だけが許せないのかもしれないが、現実にはその逆も大いにある。自分よりも優れた人間が、わざわざ自分の支配下に置かれることを是とするような態度をとること自体、何らかの魂胆や悪意をもっているのではないかと疑う人もいるのだ。