Scribble at 2024-02-11 00:29:38 Last modified: 2024-02-11 10:24:39

反骨精神という点で森浩一先生のスタンスと表面的には似ていても、僕はいわゆる「古田学派」と呼ばれたり自称している人々は、殆ど「るいネット」みたいなものだと思っていて、有り体に言えばあまり信用していない。特に、その左派と言ってもいいような、つまり自分たちこそが古代史の「真実」を知っているなどと豪語している輩にいたっては、殆どネトウヨの陰謀論者と同列に扱っていいと思う。そして、実際に学閥の区別なく学界からは黙殺されている(そして、たぶん大学院生にもなると、隠れてこっそり読むような暇人すらいなくなる)。

これは古田学派に限った話ではなく、もちろん僕の専門である科学哲学でも言えることだが、オンラインで持説と称する文章を掲載している人々の多くは、アマチュアなら大学院以上の教育機関で訓練を受けた経験もない人が多いと思うので(いや最近は修士レベルでも高校生の読書感想文並みの紙屑を「論文」と称している人々も多いわけだが、日本の大学なんて偏差値75以下は全てアメリカの community college レベルなので、しょうがないところもある)、そもそも典拠表記だとか史料批判といった堅実な手順なんて知らないだろうから、走り書きや落書きみたいなものを「考察結果」だ「研究成果」だと称していることに気がついていない。

それから、こういうアマチュアによくある傾向として、ただたんに最新の本に書いてあることが最も正しいという幼稚な上昇主義や進歩主義にとらわれている人も多い。したがって、同じように多くの読み手も素人であるからして、いちばん新しい本に書いてあることがいちばん正しくてナウいのだろうと思いこむため、そういう文章は何かロジカルでもあり、実証的でもある、妥当な議論であるかのように錯覚しやすい。

僕が、そういうアマチュア集団の議論について、考古学を学んだり発掘調査の手伝いをしていた経験から言って不信感しかない理由は、とにかく手元にある「読み物」と自分自身の空想だけで議論しようとするからだ。そういうアマチュアの文章にありがちな典型的と言ってもいい特徴の一つは、考古学の議論である筈なのに、ほとんど具体的な埋蔵文化財の発掘調査報告書というものを読んでいる形跡がないことだ。要するに、古代史に関連する一般向けの読み物が、そういう人々の一次資料になってしまっているのである。それは、はっきり言って学術研究者のコスプレでしかない。

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