2019年09月07日に初出の投稿

Last modified: 2019-09-08

終末期医療の本を読んでいて知ったことだが、ここ10年くらいのあいだに、本人の QOL を考慮して無理な延命治療をしないという選択肢が医師に定着してきたという。それまでは、毎日新聞の事例が紹介されているように、管を通して栄養や水を送り込むことを止めるのは医療倫理に反するなどと、新聞記者風情が安っぽい正義感で人権派を装いながら居丈高にものを申していたらしい。まったく、この新聞記者というのは気軽に人権を侵害したり、他人のプライバシーを全国に報じたり、出鱈目なことを無知無教養の分際で書き捨てては、30年くらいすると三流大学の教授になっていたりする。これでは国家全体の知性が地盤沈下を起こすのも無理はなく、ネトウヨを始めとする反知性主義的な反感にも何らかの道理はあろうというものだ。

終末期医療として本人が望まない無理な治療をしないという、いわば治療の終了や取り止めも、考えてみれば《治療》の一つであると言える。いったん開始した処置を単に続行するだけではなく、本人や家族の意志だとか、認知症などで判断が難しい場合でも人としての尊厳をくみとって処置の続行を止めることも、医療従事者としての積極的な判断や処置に当たると言えるのではないか。

昨年(2018年)のいまごろだったが、何度か抗癌剤の投与を試みてくれた急性期病院の医師から、母親は既に体力として抗癌剤が使えない状態だと宣告された。既に三か月以上が経過していたため、緩和ケアなどを中心とする病院への転院が求められて、9月と言えば、どこへ転院するか視察したり面接したりということを始めていた頃だった。もちろん、そういうときにも受け入れ先の病院では、家族に幾つかの契約書や誓約書の記入・提出が求められて、無理な延命治療をしないでいいかどうかにも意思表示を求められた。ただ、僕と連れ合いの二人の意見としては、危篤状態になった場合は、せめて近くに住んでいる父親が到着するまでは対処をお願いしたいと言っていた。すると、延命治療が始まるとスタッフは全力でやるので、誰かが到着するまでの間といった加減などはできないと聞いていたが、他方で基本的な病院側のスタンスとして、危機的な状況を除けば無理な延命治療はしないという家族の意志表示も必要であるから、いずれにしても延命治療についての基本的な考え方だけは知りたいとのことであった。残念ながら全く違った結末になってしまったのだが(出血・吐血により呼吸困難となって亡くなったため、タクシーを飛ばして最初に到着した僕らでも臨終には間に合わなかった)、事前の意思表示としては間違っていなかったと思うし、父親も納得していた。

ただ、このような話題で誤解を生じないように注意したいことが二点ほどある。まず一つは、これをいわゆる「格差社会」の脈絡に結び付けて、これもいわゆる「下流老人」の最後として治療を《打ち切られてしまう》事例と混同しないようにしたい。そしてもう一つは、医療従事者の過重労働という脈絡に結び付けて、医師の負担をなくすことや、場合によってはサボタージュにまで話を誤って押し広げないように願いたいものである。

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