Scribble at 2026-02-10 10:10:00 Last modified: 2026-02-10 10:12:08
格調高い英語を使う機会というのは、それほど多くない。もちろん、学術研究では気取った言い回しを使うイギリス人などがいて、かなり難しい表現や慣用句を知っていないといけない場合もあるが、アメリカの科学哲学ではジャーナルの査読で落とされる場合すらあるので、これはお国柄という事情で違いもあろう。
よく言われるように、拡張高い英語で使われることが多いのは、ラテン語やフランス語の表現だ。つまるところ、英語にも「外来語」を使う習慣があって、もともとはフランス文化にコンプレックスを持っていた田舎者の言葉が英語なのであるから、そういう事情があるのは当然ともいえる。そしてさらには、アメリカ文化のコンプレックスを抱いている、ジャパンとか呼ばれる東アジアの辺境国家においては、"ibid." だの "op. cit." だのという、ドイツ語の論文でも使われるような学術用のラテン語だけでなく、"de facto standard" のように、外来語とセットになった英語表現が日本語の外来語になるという特殊な事例もある。
それから、フランス語も外来語として使われることがある。たとえば "embarras de richesses" などだ。あいかわらず精度の低い Google 翻訳では「富を恥ずかしく思う」などという奇妙な訳し方をしていて困惑させられるのだが、これは「贅沢な悩み」のことだ。裕福であることを恥ずかしく思うなどという訳し方だと、まるで成金の家に生まれた左翼少年の葛藤みたいな話になってしまう。それでは、宮崎駿だよ。