Scribble at 2024-12-04 22:26:57 Last modified: unmodified
出社日、というか急に用事ができて会社で作業せざるをえなかったから短時間だけ出ていたのだが、帰りに天満橋のジュンク堂で暫く色々な棚を眺めていた。結局、ウォーラーステインの『史的システムとしての資本主義』(岩波文庫)だけを買って帰ったのだが、他にいくつかの収穫はあった。
まず、たぶん「悪い」方の収穫としては、またぞろ誰に売りたいのか不明な、論文執筆の手ほどきみたいな本が出ていた。僕も中学時代に講談社学術文庫の『論文の書き方』(澤田明夫/著)とか『日本語の作文技術』(本多勝一)などを読んで、なにやら筋道のとおった文章を書こうとしていた記憶はある。なので、想定している読者層が買わなくても売れたらそれでいいのだろうが、おそらく想定している大学院生や学者は買わないであろう。そもそも院生がこういう本を読まなくてはいけないこと自体が一つの不幸ではある。実際、大学院生に論文どころか研究の手ほどきをする教員すら少ないわけで、これはこれで不幸な状況を反映している。また、プロパーがそういうものを読むということは、同じく学生時代に殆ど論文の作成指導を受けておらず、ほとんど高校時代の小論文に関する受験知識だけで文章を書いているような人も多いだろう。だから日本のプロパーは自然系だろうと人文・社会系だろうと碌な書き手がおらず、ちょっと文章がうまいていどの人間がすぐに通俗物書きとしてスター扱いになり、それどころか出版を重ねるうちに殆ど研究での業績がなくても出版業界では「知の巨人」となってしまうわけだ。平衡がどうしたとか書いてる生物学者なんて、その典型だよな。こういう、キーワード一つを乱用して色々な批評を書いてしまう人というのは、どういう分野でも次から次へと出てくるわけで、たぶん出版社側で既にこの手のマーケティングというかノウハウを整備して、あとはハーヴァードや東大というブランドを持ってる、「歩く生成 AI」みたいな連中に書かせてるだけなんだろうな。漫画だって、編集者が殆どのストーリーや設定を作ってるヒット作品も多いからね。
それから「良い」方の収穫は、まだ詳しく知らない分野で興味深い本がたくさんあるなと思い知らされたことだ。そういう意味では、さんざん扱き下ろしてはいても、僕は日本の出版業界に一定の敬意は抱いている。ただし、偏見だろうとなんだろうと僕はパレートの法則を事実というよりも normative な(あるいは予防的と言ったほうがいいのか)目安にしているので、2割ていどのまともな連中にだけだがね。