Scribble at 2024-01-23 08:20:56 Last modified: unmodified
「なぜ人を殺してはいけないのか」「美とは何か」...ビッグ・クエスチョンはあまりにも「大きい」がゆえに、その前ではあらゆる人が平等とならざるをえない。さらにこれらの問題の途方もない「大きさ」は、人々を対話へとうながす。本特集では、現代を生きる私たちが思考する自由を取り戻し、世界を新たに再編する手がかりともなりうるものとして、ビッグ・クエスチョンを捉えなおす。
日曜日に大阪市立中央図書館へ久しぶりに足を運び、主に古墳時代の本を借りてきた。それから、余った時間は館内で開架となっている棚で雑誌を眺めたりもした(なぜ時間が余るのかというと、いつも 13:30 くらいに図書館を出て、西大橋の「Cafe 婆娑羅かえる堂」という店まで歩いて行って昼食をとるからだ。ちょうど着いた頃にランチ・タイムが一段落して、東京人のように店の外で待つなんて田舎者臭いことをやらずに着席できる)。『眼科ケア』という雑誌で、このまえ通院して診断されたドライ・アイの点眼薬である「ジクアス」について眺めたり、あるいは中学生の頃に愛読していた『考古学ジャーナル』などを眺めていたのだが、それらの中に『現代思想』という懐かしい雑誌があるのを認めた。もちろん、もう30年以上は買わなくなって久しい。
ざっと特集のタイトルを眺めていると、「ビッグ・クエスチョン」というのがあって、上記のようなフレーズが並べられている。「さらにこれらの問題の途方もない『大きさ』は、人々を対話へとうながす」なーんて、いかにも文学部出身の新卒が書くような表現だけど、これが全くウソであり、そもそも大学を出るどころか書店で哲学の棚を覗けばすぐに分かるという常識すら無い、生成 AI にも劣るような、日本語の単語をつなぎ合わせただけの単なる宣伝コピーであるという自覚もないわけだから、あいかわらずだなという印象しかないね。青土社は。いい本もあるけど、たいてい翻訳だし。
もちろん、暇だったので手にとって目次だけ眺めてみたが、こういうところに雑文を書くしか無いお歴々が、あいかわらずの予定調和的なスタンスで、定められた紙数で展開している。詳しくは上記のリンクでご確認いただければいいが、『Flash』に掲載されるエロ写真と同じ程度の価値しか無いと思う。
そもそも、こういう企画物が根本的に馬鹿げていて、こういう雑誌に手を出す人々に重大な錯覚を植え付けるという点ではゼロ加算であるどころかマイナスの効果があるとすら言えるのは、個々の問いが「ビッグ・クエスチョン」に値するのかどうかを吟味したり論証しないまま「取り扱い」を始めるというサラリーマン哲学者どもの流れ作業でしかないというのが第一の理由だ。そして第二の理由は、もちろん「ビッグ・クエスチョン」なんて本当にあるのか(つまり、何事かを問うことに意義があるという前提は置くとしても、そこに「ビッグ」であるかどうかという問いの格差や違いみたいなものがあると考えるのはどうしてなのか)を全く考えようとしないからだ。以上の二つを、何人かで討議でもした記録を冒頭へ掲載したり、場合によっては「実は『ビッグ・クエスチョンなんて哲学史的な捏造でした』という結論が出たので、今回の特集はこの討論の記録だけを印刷して発行します」ということなら、それはそれで出版事業者として敬服に値すると言えるわけだが、そんな態度がとれる出版社など国内どころか地球上に存在しないだろう。