Scribble at 2024-10-17 11:42:15 Last modified: 2024-10-17 11:45:58

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ネット・ベンチャーを初めとして、オンライン・コンテンツの制作や運営に携わる仕事を四半世紀も続けてきていると、まぁ色々なデジャ・ヴューというか、アホは何度でも繰り返して同じことをするのだなと、改めて自分の帰納的な仮説の事後確率を高くせざるをえないわけである。相互リンクって(笑)。20年以上も前のアダルト・サイトの運営者の発想だよな。そして、たいてい「相互リンクしましょう」と言ってくるのは、アクセスや知名度から言えばカスやゴミの方であって、提案される側にとっては何のメリットもない。

これは昔からの持論だが、「有能に万別あり、無能に区別なし」というのがあって、要するに才能というものは新しいことをやるわけだから、既存の知識や習慣では理解できないスケールやものの見方へと人類の知識や成果を拡張することにもなるわけで、それゆえ新しい何かを付け加えるわけだから、それぞれ才能が開花する分野に応じてバリエーションがある。新しい曲を作るとか、新しい絵を描くとか、新しい理論や概念を考案するとか、そうしたことの才能は豊かであればあるほど(とりわけ凡庸な人々から見れば)千差万別と言ってもいい。

それに対して、凡人がやることは原始時代から同じままだ。クソして、セックスして、そして死ぬ。そのあいだに、「相互リンクしてください」とか「料理研究家になりました」とか「生きている限りコーディングしていたい」とか、その手のアホみたいなことはやるだろうけど、われわれの習慣や文化や知識になんにも付け加えない。もちろん、僕は哲学者としてだけでなく、人類史スケールの保守思想家としても、それがいけないなどとは思っていない。昆虫に「歩くな」と言っても意味がないのと同じで、凡人に「凡庸な生き方をするな」と言ったところで無意味というものであろう。でも、更に言えば、だからといって凡庸な生き方をする中から何かのきっかけで新しい成果を出す人がいないと考えているわけでもない。僕は天才でもなければ何か人類の歴史に事績を残すような人間でもない、いわば君らと同じく凡人の一人だが、少なくとも幾つかの分野においては(とは言ってもシステム開発からデザインや哲学やスポーツなど色々とある)プロとして給料をもらったり、国公立大学の博士課程に入れるていどには有能だ。でも、結局は世の中を変革するようなインパクトのある事績は残さずに死ぬだろう。それは構わない。凡人なんだから。自分で自分の仮説の事後確率を下げるような、例外的な天才として一生を終えるなんて思っていない。

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