Scribble at 2021-09-06 10:41:41 Last modified: 2021-09-06 22:58:37

ここ数日、以前も少しだけ調べたトマス・ソウル(Thomas Sowell)について、再び調べ直している(ちなみに、一部の訳本は確認もせず間違って表記しているが、この人物の名前の発音は「ソーウェル」ではない)。もともと若い頃はマルクス主義者だったのが、いわゆるエスタブリッシュメントの仲間入りを果たすようになってからは〈黒人の保守派〉の論客として名を馳せた人物だ。現在は著述をやめて趣味の写真撮影を続けているというので、まだ存命だが著作物としての業績は殆ど出揃っていると言ってよいだろう(もちろん、だからといって評価が即座にできるとか客観的に何か決まると言っているわけではない)。

日本の出版・マスコミ業界において、ソウルのようにマルクス主義やリベラルから保守へ転向した著名な人物というのは何人かいるけれど、その殆どは保守としての何か際立った業績を上げているわけではなく、たいてい西部邁のように学術研究や思想語りの体裁をとったエッセイを並べているだけだ。それもそのはずで、体制保守ならともかく反米保守や民族派右翼のような立場になると、学術団体のコミュニティで査読を経た論説を発表することは非常に難しいからである。よって、彼も『表現者』とかいう〈同人誌〉で論説を公表する他になく、たまにメディアとして扱いやすい文章が一般誌に掲載されるくらいのものだった。それに、西部は若い頃から吃音があったせいで、保守反動の人物にありがちな激昂しやすく情緒不安定な言動が少ないからか、テレビ番組にもたびたび登場できたため、あれだけの文章を公にできたのだろう。

しかし、それもこれも些事にすぎない。要は、主張している内容がどうなのかを、もう少し丁寧に調べて議論しなくてはいけない。だが日本の「論客」とやらは、はっきり言って言葉によるパフォーマンスばかりで論説として真面目に受け取るに値しない雑文ばかりだ。それゆえに肉体表現としてのテロや自殺を好むのかどうかは知らないが、実際のところ目の前で死んでみせようとインパクトと憶測しか後には残せないのだという冷徹な事実に思い足らないセンチメンタリズムが、僕は嫌いだ。僕が三島由紀夫を全く評価しないのも、つまるところそれが理由である。偶像化しようとする一部の人々がたびたび本を書いたりしているが、おおよそ50年も経てば中曽根康弘や郷ひろみと同じ程度の過去の「データ」の一つになるだろう。

そういう次第でソウルという人物はどのような議論をしていたのかと調べているのだけれど、たとえば彼の指摘したこととして、「グリーンハウス効果(Greenhouse effect)」というフレーズが知られている。これは、もともとリンダ・グリーンハウス(Linda Greenhouse)という名の、最高裁に関連する事案を担当するジャーナリストの綴りを「温室効果(greenhouse effect)」という既存の表現としてもじった言い方であり、日本の法曹や法学者は殆ど知らないようだ(検索して全くヒットしないだけで言うのは危険だが、一人としてオンラインで話題にしていないのは、やはりいまどき異常であり、知らないから話題にもできないのだと言うべきだろう。それくらいの極論を根拠に敢えて牽制しておくほうが勉強不足な人々には激励となろう)。ともあれ、最高裁の保守派判事の意見をリベラル寄りにするジャーナリストなりメディアの影響力、および最高裁判事という立場での「イメージ」操作の問題として指摘され、これまでに幾つかの基準で影響力の証拠と称するデータが示されているようだ。

もちろん、〈このていどのこと〉は遅かれ早かれ誰かが気づいたであろう。日本ですら似たような研究や調査は可能だろうし、酒場の俗論としてなら大昔から話題になっていたとしてもおかしくはない。法律関連の話題を伝える重鎮なり影響力の大きな人物に、どう評価されコメントされるかを裁判官が気にするということは、裁判官の活動が資料だけを渡されてテレビや新聞やネットがない無人島でやるものではない以上、避けられない事実だ。そして、民主主義の国においては、なぜか裁判というものがわれわれの「大衆感覚」なるものと隔絶していてはいけないらしいので(もちろん或るていど雑な感覚なら同意できるが、そうでなくてはいけないという正確で妥当な論証は見たことがない。大衆の意見と称してマスコミの中枢部にいる僅かな人々が「庶民感覚」を権威として振り回しているだけでしかない可能性もある)、逆に裁判官も積極的に民衆がいろいろな出来事をどう評価し考えているかを知る〈必要〉すらあるというのだから、なおさらだ。

しかしながら、この手の社会科学の議論ではお馴染みとなった批評だが、結局のところ〈それがどうしたというのか〉という議論へ進まないのは残念だ。裁判に一部のマスコミが影響力を持っているんだってさ。だから? そこを議論するのが学者の仕事であり、〈そうなんだってさ〉という指摘だけなら社会学者でもできる。まだソウルの著作は丁寧に読んでいないが、どうも日本の保守系物書きと同じく、斜に構えて既成事実を伝統と誤解した愚劣なニヒリズムを繰り返しているだけにしか思えないのが残念だ。

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