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AI時代に必要なのは?未来を読む叡智 オードリー・タンの言葉

どこの国でも事情は似たようなもので、とりわけ日本の民度だけが低いわけではないのだけれど、この「天才」というお化けを自分たちで作っては、そのうち壊すか、壊れた玩具のように無視するという凡人の習性というのは、まことに恐ろしいものがある。もちろん、「凡人」などと他人事のように言ったからといって、僕が彼らと同じような人間だと言いたいわけではないし、少なくとも「凡人」とは別の何か知的グレードに位置する人種だと言いたいわけではない。もちろん僕も「凡人」の一人ではあるが、哲学者として自らも含めた人々、つまりはたいていの生物種において大勢を占める、標準的で、平均的で、要するに他の誰かと代わっても社会的な影響がゼロに等しい個体の、生得的または組織的・統計的な凡庸さというものを少なくとも自覚はしているだけ、何か意見を言う資格があろうと思っている。

ともあれ、自分たちとは何か「違う」人々を据えて、時には勝手に希望や期待の対象としてみたり、あるいは自らそうであろうとする人々(その典型が、「アイドル」だ)と一緒になってバカ騒ぎにお金や時間を使い、あるいは制度としてすら特殊な存在とされる人々を何かのスケープゴートのように据える(その典型が、異論のある人はいるだろうが、「天皇」である)。もちろん、ここで話題にしている「天才」というのも、あるいは最近だと gifted だ talent だと発達障害や自閉症やサイコパスの人々を技術や社会や文化の牽引役として囃し立てる宮台真司氏のようなデザイン指向のファシスト、あるいはシステム理論系の国家社会主義者と言ってもいいのだろうが、こういう人たちが次世代の人類として熱望している人々の典型として語られたり、取材やセミナーやカンファレンスや政府の何とか委員会に引っ張り回して、実は彼らの多くは「天才」としてパブリシティを得た後に、殆ど何の業績も残せなかったりすることがある。実際、コロナ禍に入った頃は色々なところで騒がれたり注目され、台湾の大臣にまでなった人物だが、あれから5年が経過して彼は何を台湾で成し遂げたのか? 単なる文明論の物書きになっただけではないのか。

そして、マスコミというのは上のような記事を適当に掲載しつつ、ニーズや反響がなくなったことを確認して、取材したり注目するべき人物のリストから蹴り落とすわけである。自分たちで色々なイベントや出版事業や官公庁などの下らないプロジェクトで疲弊させておいて、特に業績がないと見るや、即座に、簡単に切り捨てる。これが、凡人の「逆トリクル・ダウン」というべき習性であって、川を流れる自分たちが乗れる「筏」のような存在を見つけると群れを為して乗りかかり、沈むか速度が落ちてきたら別の筏へ乗り移るというわけである。

こういうわけなので、僕はサイコパスや発達障害や自閉症の人々に特有の何か素晴らしい才能があるとして、それを本人も僕らも活用したいと思っていても、やたらと特別な人間であるかのごとく無暗にプロモートしたり祭り上げるようなことは逆効果であると思う。neurodiversity を真面目にやりたいのであれば、一方が他方よりも遥かに特別で優れた人間であるとか、そうした差別を持ち込むこと自体がナンセンスであり、結局は彼らを持ち上げるふりをして「文化や技術の発展のための生贄」にしているだけなのである。

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