Scribble at 2026-07-28 11:53:26 Last modified: 2026-07-31 06:00:59
以前もご紹介した、アニメのレビューを掲載しているブログなのだが、ここもブックマークから外そうかと思っている。
第一の理由は、一定の期間に渡ってアクセスしていれば多くの方が気づくと思うのだが、このサイトって意外とメジャーな作品をわざと避けてるように思うからだ。当然、メジャーな作品には一定の割合でファンだけでなくアンチもいるから、肯定的にレビューしようと否定的にレビューしようと、SNS とかで叩かれるとサイトのブランドに影響がある。メジャーなタイトルなんて、どのみち Amazon Prime などのレビューを見ればいいわけだから、掲載しなくても不満を感じる人は少ない・・・と考えたら、わざわざ吊るし上げられるネタになるような記事を書く必要もないというわけなのだろう。あるいは、世間的な評判が定まるまでメジャーな作品を取り上げなかったりもしている。たとえば、『鬼滅の刃』を最初に取り上げたのは、大ヒットした後の3期からだ。ガンダム・シリーズも2020年代になるまで1作品も取り上げていない(このブログは2010年から運営されている。2020年までに、UC、AGE、レコンギスタ、オルフェンズなどが放映されている)。
そして、このサイトで取り上げられている作品には Amazon Prime や Netflix などでは見られないマイナーな作品が多くあり、もともと観てない人が多いから取り上げてもさほど反感を買うリスクが少ないという計算が運営者にあるのかもしれない。そしてマイナーであるということは、すなわち駄作が多く、ぶっ叩いてもアンチに SNS で吊るし上げられる心配も少ない。実際、このサイトに掲載されているレビューの大半が、どちらかと言えば否定的な内容であり、言わば「辛口レビュー」が取り柄なのであろう。でも、メジャーなタイトルに手を出すとリスクがあるから、叩いても大丈夫なタイトルばかり取り上げている。すると、辛口な批評が好きな方は留飲を下げられるかもしれないが、観てもいない、知らないタイトルについてあれこれ言われてもしょうがない人にとっては、はっきり言ってどうでもいいことに怒ってるだけの人にしか見えないわけである(笑)。
あと、細かい話だが誤字脱字が非常に多く、それを推敲して直すという姿勢もないのが気に入らないという情緒的な理由もある。物書きやメディア運営者として一定の収入を得ているのであれば、それに見合う見識というものを求めたいところだ。
それから、このサイトではやたらと特定のアニメ制作プロダクションについて、丸投げだの下請けだのと書いているわけだが、業界の裏事情を知ってるかのような表現を使うのが中途半端なオタクの特徴だ。でも、ウェブの制作業界と同じく、アニメーションの制作業界もまた、同業他社で仕事の融通をしたり、まさしく丸投げすることはある。ただし、委託先と自社とで殆ど同じ会社として扱われてもいいというくらいの違いしか成果物の品質に差がないという条件はあろう。その品質が高かろうと低かろうと、それは分かって発注している側の問題であって、成果物の品質が「低い」からといって丸投げや下請けを使う是非の議論と混同してはいけない。それではまったく業界の事情が分かっていない素人と同じだ。だいたい下請けを使って何がいけないのか。老舗の和菓子屋じゃあるまいし、ワン・ストップなんて体制を維持できるのは、それでも仕事が選べるような金額で受けられる一部の会社だけだ。スタジオジブリですら下請けで仕事をすることがあるというのだし、こういうことを大学サークルの自主制作アニメの感覚で評論されては困る。
他にも、このブログの運営者は作品を評価するときに、やたらと「作画」、特にアニメーションという動きの描き方について語る。これはこれで単独の着眼点としては成立するわけだが、作画についての評価の基準がかなり狭くて偏っているという印象を受ける。たとえば「止め絵」の濫用には厳しいわけだが、こんな技法はいまどき大量生産で納期も短い業界では標準的なテクニックであって、濫用も何もない。そもそもアニメ作品の制作工程を知っていれば誰でも分かるように、アニメーションというものは絵コンテという事実上の止め絵をどうやって繋いでいくかという演出の観点でデザインされるのであって、シーンとシーンの途中経過がアニメーションであろうと絵が止まったままであろうと、あるいは暗転とナレーションであろうと、そんなことは観ている側にとってさほど異質でもなければ奇妙なことでもあるまい。
既に前世紀からの話だが、いわゆる「メディア・ミックス」なりマーケティングとしての横展開が採用されたことによって、作品の関連商品を展開するという出口だけではなく、どこから作品をどう作るかという入口についても色々なアプローチがある。かつての漫画原作やオリジナルだけではなく、ラノベ原作だとかゲーム原作(しかも、Fate シリーズや「リリカルなのは」といったアダルト・ゲームすら原作になっている)のアニメ作品も増えた。また逆に、アニメ作品からのコミカライズであるとか、更にコミカライズされた漫画を原作とするアニメなどもあるようだ。つまり、アニメ、漫画、小説といった表現手法の境界がなくなり、アニメに漫画の止め絵が入ってきたり、あるいは小説を動画で配信しながらバックにアニメの映像を表示するとか、漫画に小説の一節を挿入するとか、そういう手法も使われていくようになるだろう。アニメに(安易ではあろうと)止め絵が入るくらいのことで怒るなんてのは、僕らのような昭和世代の人間すら呆れるような古臭い感覚だ。
なお、僕はつねづねラノベはせいぜい大衆文学の一種だろうと思っているけれど、だからといっていわゆる「純文学」などという権威を認めているわけではない。したがって、多くの若い人々にとってラノベがごく普通の「文学作品」として読まれてゆくことには肯定的だ。そして、「論壇」とか「文壇」などという偽の権威が消滅することは、僕は良いことだと思う。