Scribble at 2024-04-23 16:50:35 Last modified: unmodified
言わんとすることは分かるし、こういう傾向って今に始まったことでもないような気がするんだよね。つまり、出版っていう事業は、こういう比喩が的確かどうかはわからないけれど、新しいアプリケーションを次々とリリースしてるゲーム会社のようなものであって、とりわけ大きな予算と制作期間が必要なシリーズものだとか辞典のような著作物を刊行する場合は、出版するまでのあいだも少しずつ著者にギャラを払う必要があるだろうし、そもそも本が出てないあいだも自社の社員を食わせなきゃいけない。そうなると、どういう本を出版するのであろうと常に銀行が融資してくれるわけでもないのだから、手持ちのリソースで食いつなぐ他にない。個々の出版物の制作が一つの投資案件ということだ。
ということで、いったん古典的な著作やロング・セラーを出したら、それに頼らざるをえなくなる。そして、頼れるということが分かると、頼ることが当然かつ自然になってしまう。そういう本がたくさんある会社ほど、一方ではロング・セラーの著作物を刷り増ししているだけの「コピー屋」みたいになってるにもかかわらず、他方でそういう本の売上で確保できたファイナンスによって新しい本を出せるので、なんとか社会の木鐸といった風情を保てる。岩波書店だろうと筑摩書房だろうと河出書房新社だろうと、あるいはもっと小規模の出版社でもだ。いま僕が読んでる「モノグラフ」シリーズ(矢野健太郎/監修)という高校数学の副読本を出してるフォーラム・Aという出版社とかも、こういう半世紀以上に渡って売れ続けている本の売上に大きく依存しているのだろう。
では、大半の本は1,000部も売れていないのに、どうして毎週のように New York Times のベスト・セラーは更新されるのだろうか。もちろん、そういうランキングには色々なトリックやインチキがある。ああしたメディアを「アメリカの良心」みたいに錯覚してるのは、毎日新聞を公正無私なメディアだと思いこんでいる愚かな左翼やリベラルのお子様だけであって(もちろん Fox News や産経新聞について同じように盲信している馬鹿な右翼やインチキ保守も同様だが)、アメリカの多くの大人がイギリスの王族の与太話が書かれた本(Spare)を読んでるなんてことはありえないのだ。