Scribble at 2023-10-30 08:11:59 Last modified: 2023-10-30 08:26:30
連れに教えてもらって一読したが、上記の一節あたりに無頓着や傲慢さを感じたね。この文章だけだと、どこの大学なのかすら分からないけれど、仮に東大やソルボンヌ大学の学生が編纂・執筆したとしても、若者言葉を「若者言葉」と大書して、しかも「辞典」などと称して一般消費者に販売するのだから、それなりに権威あるいは典拠としての基盤というものが必要だ。そして、おそらく東大やソルボンヌの学生であれば、自分たちの若者としての肉声なんてものに客観性もなければ、実は自分たちの主観を正確に自分たちで表現できているかどうかすら怪しいという前提で言葉の収集だとか意味の確定に取り組むはずである。(有能な学生と指導教官ならな。)
要するに、これは学生がどうこうというだけの問題ではなく、そもそも辞書の編纂という作業を三省堂が舐めているという問題なのだ。ちなみに、偶然かもしれないが、僕は国語辞典から英語辞典や古語辞典に至るまで、三省堂の辞典というのは一冊も持ってない。
あと、上記の引用でも分かるように、日本人というのは学者であろうと、動機の純粋さで愚行が弁解できるという、民族派の右翼が好んで使うクソ理屈が大好きなんだよね、イデオロギーに関わらず。凡人だから許してくださいなんて、そんな理屈が罷り通るわけがないし、自分で言うなって話なんだよ。そして、その自覚があるなら、いまどきコストは格段に安く済むわけだからどうしてオンラインで公開しようとしなかったのかという疑問が生じる。なんで、三省堂から、書籍として、出版して販売ルートに乗せたいのか。こんなの、アメリカの大学生なら当然のようにオンラインで公開するだろうし、一定のフィードバックや評価を受けた上で、書籍として出版することを考えるのではないかな。いや、もし本当に下段で三省堂の編集スタッフが書いているように書籍の辞書でカバーできないところを補うという目的があるなら、ウェブで公開するべきだろうと思う。なんで書籍の辞書でカバーできない、新しくて語義の確定しづらい(刹那的かもしれない)語句を集めて、それを再び書籍として出版するのか。その一点だけでも単純に理解しかねる。