Scribble at 2024-01-21 19:18:26 Last modified: 2024-02-12 10:15:37
このところバック・オフィス、特に人事の分野で knowledge management についての話題が多く取り上げられるようになった。人事系の雑誌とかオンライン・メディアは少ないが(採用関連ならアホみたいにあるが、何も人事部署は採用や首切りだけやってるわけではない)、少なくとも一橋大の野中郁次郎氏による「知識経営」なるものに関わる著作が出るようになってから、ビジネス全般の雑誌でも knowledge management に関わる話題が取り上げられるようになった。
で、なんでこんなことを書いているかと言うと、薄々は分かる人もいると思うが、そういう話題になると決まって「科学哲学者のマイクル・ポラニーが提唱した『暗黙知』が云々」という話を、生ける一知半解とすら言えるような経営学者や経営コンサルや経済評論家がせっせとし始める。なんなら、「パラダイム」とか「論理実証主義」なーんていうナウでヤングなキーワードも盛りだくさんの、都市計画論や経済学方法論にやまほどいる「社会科学の哲学」を標榜する無能どもと同じくらいの恥知らずな文章を売りさばいているのが実状だ。
でも、僕は knowledge management という発想そのものに胡散臭いものを感じるので、社内でそれの必要性だとか、あるいは活用すべきかどうかについて話題とするようなことはしていない。よって、それぞれの部署で利用しているチャットとか SFA のようなサービスを使って、情報を共有するのを必要に応じてサポートするていどにとどめている。
簡単に言うと、knowledge management という発想が胡散臭いのは、社員のスキルや経験や知識や発想といったものを、全て自社の知財として抱え込もうという話だからだ。たとえば、本来なら情報セキュリティに関する情報、とりわけ脆弱性や脅威に関する情報は企業どうしで連携して対策する方が効果的であるため、共有するのが適切であると考えられているわけだが、knowlege management というアプローチを押し進めると、あらゆる情報を公益性があろうとなかろうと社内に秘匿して社員だけで共有し、後は覚書の類で縛ってしまうということなので、特許でも機密でもないような情報まで個々の企業が抱え込むことになる。そして、それこそが競争優位制を高めるというわけだ。
本来、オープン・ソースの活動などで複数の企業のエンジニアがそれぞれの自由意志で参加して協力してきたような数々のプロジェクトは、プログラミングやコーディングのノウハウは業務で培ったものであろうと広く社会に還元したり、他のエンジニアと共有してこそ業界全体のレベルが上がるという前提にもとづいている。しかし、knowledge management のような施策が優先されると、そういうことはプライベートの活動であっても社内の規程によって牽制されたり禁止される可能性がある。実際、かつては「10% ルール」などという企業宣伝で多くのエンジニアを集めていた Google が、もう10年以上も前にそんなルールなど無くなっているということを見ても、企業としての営利を追求するという大目標にとって無益であるか有害ですらあると見做されるような施策は、いくらでも停止したり破棄される。
なお、この野中郁次郎氏は僕の管掌でもあるソフトウェア開発という分野で「スクラム」というアジャイル開発手法を提唱したことでも知られているが、僕はこのスクラムについても批判的である。要するに、アジャイルそのものについても言えることだが、その手法とやらの実態は、小規模のチームに分かれて効率よく適切な仕方で開発した総体として良いシステムが出来上がるなどという、色々な雑多のシステム開発手法をつまみ食いしたり、既存の開発手法からベスト・プラクティスをパッチワークのように繋げただけである。はっきり言えば、Harvard Business Review に掲載されるような類の、願望と予測と客観的な記述とを混同している雑な読み物、あるいは典型的な絵に描いた餅であるというのが、プロのエンジニアとしての僕の評価だ。実際、スクラムなんてアジャイルがブームだった15年くらい前にどさくさで何冊か解説本が出版されただけで、それ以降は何の進展もないし、そもそも自ら「スクラムを採用した」とか宣伝までして知られるようになったほどの実例がまったくないのである。