Scribble at 2024-12-13 11:12:00 Last modified: 2024-12-13 22:10:11
せっせとビジネス本を読むサラリーマンは多いけれど、役立てている人というのは非常に少ない。そして、そうしてきた末に、おおよそサラリーマンというのは(もちろん大半が凡人なので)ビジネス本を小説のように読み流すことしかしなくなるか、あるいは「経営書やビジネス本なんて役に立たない」と言い放ち、彼らが言うところのリアルな経営だとかビジネスの現実なるものが重要だと言い始めたりする。かような状況なので、いつかご紹介したように、星野佳路氏(星野リゾート)が経営やビジネスの古典的と評価されている著作物を紹介するような本を出していたりする。これだけビジネス書は売れていて、目を通したり、「ブルーオーシャン」だの「競争優位性」だのというキーワードだけはオウムのように復唱できる人が多いというのに、星野氏にしてみれば大半の人々は眺めているだけで読んではいないという実感があるのだろう。もちろん、ビジネス書を読んだくらいで経営が有利になるなんて単純なことを彼も期待しているわけではないだろうが、しかし基本をおさえることは何の仕事をするにしても大切であるという理由で基本的なアイデアを学ぶことは正しい。そして、そのために「きちんと読む」必要があることも星野氏は痛感されているわけなのだろう。
思うに、ビジネス本を読み流しているだけの人に多い特徴として、まずメモを取っていない。僕らのような、嫌な言い方だとは思うが大学院の博士課程という学歴の最高峰にいるような人間ですら、本を読むときはメモを取るのが当たり前だ。内容を覚えるなんて無理だし、どこが重要だったのかを書き留めておかないと、読み返して重要な箇所を探すという無駄な作業を繰り返すことになるからだ。そして、読んだときに自分がどう考えたかという、自分の感想なり感受性についての事実も大切な情報なのである。
そして、これは現在の学校教育の不備の一つでもあろうが、大半の学校では高校どころか大学を出るまでにすら、教員が本の読み方というものを教えない。なので、多くの人はビジネス本を読んでいる自分自身のありように満足するだけで頭に入っていないのだ。ここで「頭に入る」というのは記憶するという意味もあるが、それよりも分析的な読み方や批判的な読み方といった、読書について本来なら教わるべき手法なりアプローチを内容に当てはめることで、どのような結果になるのかを自分自身で考えるという作業を経ているという経験のことなのである。よくエピソード記憶と言われたりするものも、こうした経験によって本の内容が分析的あるいは批判的に咀嚼されて定着することを指しているのだと思う。まさかサヴァン症候群の患者じゃあるまいし、僕らですら本の内容を映像のように記憶するなんてことはできない。学者としての能力があるかどうかと記憶力は、あまり相関がないのだ。記憶力がかなり劣っているという自覚がある僕自身がよい例だ。