Scribble at 2024-09-03 16:09:32 Last modified: 2024-09-04 11:06:08

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発表によると、男は2日未明、同市共恵の歩道で会社役員男性(37)の顔を傘で1回突き、右頬打撲の軽傷を負わせた疑い。容疑を認めている。2人に面識はなく、男性の友人が「いきなり傘でやられた」と110番しており、同署で詳しい経緯を調べている。

「いきなり傘でやられた」…面識ない男性の顔面を傘で1回突いた疑い、男を現行犯逮捕

日本は外を出歩いていても安全だとか、そら海外に比べて多少はそうかもしれないが、民族や国の単位で比べるほどのことでもないと思う。日本だって、しょせんは他人なんて何を考えているかわかったものではない。もちろん、ガチで頭がおかしい人もいれば、ただたんに平凡に暮らしている人を見るだけでもキレるやつがいたりする。まだアンガー・コントロールだのアンガー・マネジメントだのと自分で言ってる人はマシであって、たいてい人に迷惑をかけるのは、どこかの知事やサイコパスと同じで、自覚がない人々なのである。

そもそも、僕はむかしから、日本の治安がいいとか、どういう意味かはともかく「優しい」などという話はプロパガンダだと思っていて、いわゆる「下町の人情」がどうこうみたいな話って妄想だと思ってるんだよね。そして、この妄想には二つの種類があって、一つはマスコミやルポ・ライターや芸能人が勝手に喋ってるような、他人が作り出す妄想で、もう一つは自分たちが何か特別だと思いたい凡人が自分たちで作り出している集団催眠という名の妄想だ。したがって、或る地域でこの手の集団催眠が大手を振っていたりすると、そこで暮らしにくくしてる人たちにとっては一種の同調圧力になる。実際、社会学者が話題にしている「排除の思想」というのは、こういうことにも当てはまる。凡人というのは、自らが凡庸であることを自覚していればなおさら、本やテレビで持て囃されているアイドルや大学教授やスポーツ選手や経営者などと比べて何の才能も成果もないという事実へ心理的に対処するために、いまで言う色々な認知バイアスを自分自身に対して及ぼす。

僕が PHILSCI.INFO で論じている「自己欺瞞」とは、そうした自分自身に対する防衛反応のような心理を指している。こうして、大学の科学哲学の教授であろうと、彼らの多くは小学生時代に地元で「神童」と呼ばれた人々であったり、東大に殆ど勉強しないで開成や灘から入学したような人々だが、正直なところ英語の本をスラスラ読めたり大学院生並の数学や物理を理解している以外に哲学的な才能は殆どないという意味では凡庸であるがゆえに、彼らもまた哲学をやっていると称して色々な自己欺瞞に陥る。その典型は、自分自身の研究とか生き方に対して自らの哲学的思考や結論を当てはめたり実行しないという欺瞞だ。まともなレベルで哲学をやっていれば、哲学の通俗書やマンガ本(もちろん、マンガでも哲学は解説できる可能性があるので、あくまでも「程度の低いマンガ本」のことだ)に啓発的な効用などないとわかっていながら、人付き合いなどの下らない理由で出版に手を染める。また、必要な文章量が決まっているなら、紙の出版物にこだわらなくても PDF で電子出版すればいいのに、それを知っていながらやろうともしない。いまどき「紙面の都合で」などと序文に書いている紙の出版物など、自虐ネタとしか思えない。

ともあれ、僕は自分が住んでいる街であろうと、外出するときは他人を或る程度は信用するが、或る程度は疑って眺めている。そもそも外を出歩いている他人の心情とか事情なんて分かるわけがないのだから、いわゆる「むしゃくしゃして」何をするかわからないような人間だって歩いている可能性はあるのだ。それを、下町の人情だの日本は安全だのとデタラメを言って回るというのは、要するに自己催眠にすぎない。自分が安心したいだけのことなのだ。

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