栄養学を学ぶ / I: 栄養学とは何か ― 生命維持から地球環境まで

Edited and supervised by Takayuki Kawamoto(河本孝之), in collaboration with Google NotebookLM

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First appeared: 2026-02-06 13:02:16,
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Last modified: 2026-02-09 09:20:28.

I. 栄養学とは何か ― 生命維持から地球環境まで

1. 「栄養」と「栄養素」: その決定的な違いについて

いきなりですが、皆さんは「栄養」という言葉を適当に使っていませんか。普段の生活で「この料理は栄養がある」とか「栄養をつけるために焼き肉に行こう」なんて言うとき、たいていは食べ物そのものや、そこに入っている成分のことを指しているはずです。しかし、厳密な定義の話をすると、「栄養(Nutrition)」と「栄養素(Nutrient)」は全くの別物です。こういう細かい定義の話をすると「また屁理屈を」と思われるかもしれませんが、ここを混同していると栄養学という学問の入り口で躓くことになるので、あえて触れておきます。

栄養

研究者の定義によれば、「栄養」というのは物質のことではありません。生物が外からモノ(食物)を取り込んで、それを消化・吸収し、体の中でこねくり回して(代謝)、生きたり成長したり、あるいは不要なものを排泄したりする一連のプロセス(営み)のことを指す言葉なのです。つまり、栄養とは静止した「モノ」ではなく、動いている「現象」だということです。なので、「ほうれん草には栄養がある」という表現は、科学的に正確を期すなら「ほうれん草にはビタミンやミネラルといった栄養素が豊富に含まれている」と言い換えるべきなのです。まあ、日常会話でそんな周りくどい言い方をしていたら友達を失うかもしれませんが。

一方で、「栄養素」というのは、この面倒な営みを支えるために食品の中に含まれている特定の化学物質のことを指します。炭水化物、タンパク質、脂質、ビタミン、ミネラル、そして水。これらが栄養素です。僕たちは普段、これらを口に入れた時点で「栄養をとった」気になっていますが、実際には口に入れただけでは何の意味もありません。それが体の中で分解され、選別され、運び込まれて初めて「栄養」というプロセスが完結するのです。この意味では、栄養学というのは物質のリストを作る学問ではなく、生命という現象そのものを解き明かす学問だということになります。なお、この分野にも「〇〇を食べればすべて解決」といった単純な説を唱える方々がいるようですが、僕はそうした極端な話には興味がありません。

なぜこんな区別が必要かというと、「何を食べるか」だけじゃなくて、「食べたものが体の中でどうなるか」を知らないと、本当の意味での健康は語れないからです。どれほど優れた栄養素を含む食事を摂取しても、消化管の機能が低下していたり、代謝酵素が遺伝的にうまく働かなかったりすれば、その物質は体内で利用されず、生命維持という目的を果たせません。栄養学とは、単なる食品の成分表を暗記する作業ではなく、この複雑で精緻な生命のプロセスを解明し、最適化するための科学なのです。

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2. 人体という「管」と物質の旅: 消化と吸収

栄養というプロセスは、外界の物質を体内の構成要素へと変換する旅のようなものです。この旅の舞台となるのが、口から始まり肛門で終わる一本の長い管、すなわち消化管です。成人の消化管は全長約9メートルにも及びますが、解剖学的に見れば、消化管の中(管腔)はまだ「身体の外」であると言えます。これはドーナツの穴がドーナツの一部ではないのと同じ理屈です。食物が消化管の中にあるうちは、それはまだ僕たちの一部にはなっていません。栄養素が消化管の壁を通過し、血液やリンパ液という循環系に入った瞬間、初めて物質は「体内」に入ったことになります。これを吸収と呼びます。

食物を吸収可能なレベルまで小さく分解する過程が消化です。これには「機械的消化」と「化学的消化」の2つのメカニズムが協調して働きます。まず、口の中で咀嚼(そしゃく)することから始まりますが、これは食物を物理的に粉砕して表面積を増やし、唾液と混ぜ合わせる重要な工程です。唾液にはアミラーゼという酵素が含まれており、ここでデンプンの化学的分解が始まります。その後、食道を通って胃に運ばれた食物は、強力な酸(塩酸)とペプシンという酵素を含む胃液と混ぜ合わされ、ドロドロの粥状(カイム)になります。胃の強力な蠕動(ぜんどう)運動による撹拌も機械的消化の一部です。ここで注目すべきは、胃液に含まれる塩酸の役割です。空腹時にpH2〜3という強酸性の環境は、食物と共に入り込んだ細菌を殺菌する防御壁となるだけでなく、タンパク質の立体構造をほどく(変性させる)ことで、酵素が作用しやすい状態を作り出します。よく「胃酸過多で胃が痛い」なんて言いますが、この危険な液体を自ら分泌してコントロールしているのですから、人体というのは大したものです。

消化と吸収のメインステージは小腸です。小腸は十二指腸、空腸、回腸に分かれていますが、ここでは膵臓から分泌される膵液と、肝臓で作られ胆嚢に蓄えられた胆汁が合流します。胆汁は脂質を乳化して酵素(リパーゼ)の働きを助け、膵液中の酵素群は炭水化物、タンパク質、脂質をさらに微細な分子(単糖類、アミノ酸、脂肪酸など)へと分解します。

小腸の内壁には「絨毛(じゅうもう)」と呼ばれる無数の突起があり、さらにその表面には「微絨毛」が存在します。この構造により、小腸の表面積はテニスコート一面分ほどにも拡大され、効率的な栄養素の吸収を可能にしています。ここで特筆すべきは、栄養素の吸収が決して受動的なプロセスだけではないという点です。水や一部の脂質は濃度の高い方から低い方へ自然に移動(拡散)しますが、ブドウ糖やアミノ酸などは、エネルギー(ATP)を使って濃度勾配に逆らってでも積極的に取り込まれる能動輸送(ナトリウム・イオンの濃度勾配を利用する二次性能動輸送)という仕組みを使います。これは、生命にとって必須の栄養素を、どんなに低濃度の状況からでも確保しようとする生物の生存戦略の現れと言えるでしょう。まあ、現代の飽食の時代においては、この「何でも吸収してしまおう」という貪欲な機能が仇となって、肥満を引き起こしているわけですが。

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3. 代謝(Metabolism): 生命エネルギーの変換と物質の構築

吸収された栄養素は、門脈という血管を通って肝臓へ、あるいはリンパ管を通って全身へと運ばれます。細胞に届けられた栄養素は、そこで代謝と呼ばれる化学反応の渦に巻き込まれます。代謝こそが、栄養学の核心部分であり、生命活動の源です。代謝は大きく二つの方向に分かれます。一つは、複雑な分子を単純な分子に分解し、その過程でエネルギー(ATP: アデノシン三リン酸)を取り出す異化(Catabolism)です。もう一つは、エネルギーを使って単純な分子から、細胞やホルモンなど複雑な生体成分を合成する同化(Anabolism)です。

ここで、タンパク質の代謝について考えてみましょう。私たちは牛肉(牛の筋肉)を食べても、それがそのまま人間の筋肉になるわけではありません。摂取したタンパク質は一度アミノ酸という最小単位まで完全に分解されます。これは、他者のタンパク質がそのまま体内に入ると、免疫系がそれを「異物」とみなして攻撃してしまう(アレルギー反応など)のを防ぐためでもあります。私たちは、他者の命(動植物のタンパク質)を一度バラバラの部品(アミノ酸)に解体し、自分自身の遺伝子情報(DNA)という設計図に基づいて、自分専用のタンパク質へと再構築しているのです。この「分解と再合成」のプロセスこそが、私たちが「食べる」ことによって自己を維持・更新し続けるメカニズムの本質です。これをタンパク質のターンオーバーと呼びます。私たちの体の大多数の部分(脳の神経細胞、心臓の心筋細胞、水晶体のタンパク質などを除いて)は、昨日の体とは物質的には入れ替わっているのです。なのに、なぜ昨日の嫌な記憶だけは消えずに残っているのか、不思議でなりません。

炭水化物、脂質、タンパク質は「エネルギー産生栄養素」と呼ばれますが、これらが直接筋肉を動かすわけではありません。これらの栄養素が持つ化学エネルギーは、細胞内のミトコンドリアという器官で、酸素を使ってATPという共通のエネルギー通貨に変換されます。私たちが呼吸で酸素を取り入れ、二酸化炭素を吐き出すのは、まさにこの細胞内でのエネルギー生産(細胞呼吸)のためなのです。18世紀にラボアジエという化学者が「呼吸は燃焼と同じ現象である」と喝破したことは、栄養学の夜明けを告げる大発見でした。要するに、私たちは体の中でゆっくりと、しかし確実に「火」を燃やしているようなものです。

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4. 栄養学の新たな地平: ミクロからマクロへ

現代の栄養学は、こうした体内での生理学的・生化学的なプロセスの解明にとどまりません。私たちは今、「ニュートリゲノミクス(栄養ゲノム学)」や「マイクロバイオーム(腸内細菌叢)」という新たな視点を手に入れています。

かつて消化管内の細菌は単なる居候と考えられていましたが、最新の研究では、腸内細菌叢が食物繊維を発酵させてエネルギーを生み出し、ビタミンを合成し、さらには免疫系や脳機能にまで影響を与える「もう一つの臓器」として機能していることが明らかになっています。私たちが食べたものは、私たち自身の細胞だけでなく、腸内に住む数兆個の微生物たちにとっても食事となり、その相互作用が私たちの健康を左右しているのです。これを「ホロビオント(共生体)」としての人間と呼ぶ学者もいます。つまり、私たちは一人で生きているようでいて、腹の中には無数の同居人を飼っているわけです。彼らの機嫌を損ねると、下痢をしたりガスが溜まったりと、ろくなことがありません。

さらに、視点を細胞の中から地球全体へと広げれば、栄養学は環境や社会と切り離せないことがわかります。人類の歴史は、飢餓との戦いから始まりました。しかし、20世紀後半以降、食料システムの変化や経済発展に伴い、世界は「栄養転換(Nutrition Transition)」と呼ばれる劇的な変化を経験しています。伝統的な食事から、高脂肪・高糖質・加工食品中心の食事への移行は、肥満や糖尿病といった非感染性疾患(NCDs)のパンデミックを引き起こしています。

環境や社会と栄養

現代の栄養学は、個人の体内での代謝プロセスだけでなく、食料が生産され消費されるまでのフードシステム全体が、個人の健康と地球環境(プラネタリーヘルス)にどのような影響を与えるかを包括的に考える学問へと進化しています。私たちが日々の食事を選ぶという行為は、自身の細胞を養う生理学的なプロセスであると同時に、地球環境や社会システムに関与するエコロジカルなプロセスでもあるのです。

最後に、少し説教臭いことを言うようですが、これからの栄養学を学ぶには、単にテストや資格試験で良い点を取ることだけを目指していても不十分です。そんなことだけなら、たぶん AI に負けてしまいます。自分の体がどうやって動いているのか、その仕組みに驚き、感謝すること。そして、自分たちが食べるものがどこから来て、世界にどんな影響を与えているのかを想像する力を持つことです。まあ、今日の昼ごはんに何を食べるかで迷っているときに、そこまで高尚なことを考える余裕はないかもしれませんが、頭の片隅にでも置いておいてもらえればと思います。

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