伊丹万作「戦争責任者の問題」を読む

河本孝之(KAWAMOTO Takayuki)

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First appeared: 2024-06-10 17:20:41,
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本稿は、伊丹万作氏の「戦争責任者の問題」を掲載して、僕の批評を加えるものです。まず伊丹氏の評論を全文掲載してから、僕の批評を続けます。なお、伊丹氏の「戦争責任者の問題」は、伊丹氏が40代で亡くなられているため、既に著作権が失効しています。

なお、本稿は僕が伊丹のエッセイについて考えたり、あるいは参考文献として挙げているような本を読んで考えたことを、必要に応じて追記していくスタイルをとります。当サイトでは、他にも「英語の勉強について」など、こういう追記のスタイルで更新している論説が幾つかあります。したがって、ここで現時点で公開している内容で全てであるとは限りません。

戦争責任者の問題(伊丹万作)

First published in 『映画春秋 創刊号』(August 1946), p.32-37, and this essay is archived under public domain at 青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000231/card43873.html) in 2006, based on 『新装版 伊丹万作全集1』(筑摩書房, 3rd edn., 1982, 1st edn., 1961), typed by 鈴木厚司 and proofread by 田中敬三, written by 伊丹万作(1900-01-02 - 1946-09-21), and redistributed at MarkDancing by KAWAMOTO Takayuki.

最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。

そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。

さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。

たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏ほきようにつとめていたのであろう。

少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。

もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。

だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。

だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。

もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。

また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。

つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。

そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。

そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。

それは少なくとも個人の尊厳の冒涜ぼうとく、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱せいじやくな自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。

こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。

こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。

しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである。

すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である。現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。

しかし、それなら映画の場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないか。しかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりしているのである。

いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。

しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである。

たとえば、自分の場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。

もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。この馬鹿正直をわらう人はわらうがいい。

このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。

では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである。

では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。

私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画人集団との関係を明らかにする必要を感じる。

昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画人集団発起人の某氏から同連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟の目的は「文化運動」という漠然たる言葉で説明されていた以外、具体的な記述はほとんど何一つなされていなかつた。

そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したのである。

「現在の自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」

つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用を承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。

しからば私のほうには全然言い分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用を容認したことは、某氏の手紙の示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているからである。この団体の仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである。

なお、私としていま一つの不満は、このような実際運動の賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである。

しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初のボタンをかけちがえたら最後のボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである。

要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活権擁護のための組合は別である)。

それが自分の意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する羽目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後にしたいという決意を、やつと持つことができたのである。

最近、私は次のような手紙を連盟の某氏にあてて差し出したことを付記しておく。

「前略、小生は先般自由映画人集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしました。しかし、それは、御勧誘の書面に自由映画人連盟の目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います。

ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。

そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものであります。したがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめることなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります。

しかし、集団の仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疎通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです。

なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動に名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなのです。また、療養の目的からも遠いことなのです。

では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)

(『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)

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解題(河本孝之)

「戦争責任者の問題」は、冒頭で述べたように、伊丹万作氏(1900-1946)が遺した文章であり、現在は著作権が失効しているため、『青空文庫』に転載されています。本稿でも、伊丹氏の文章には著作権がないため、この箇所を転載することは自由に行ってください。もちろん、この「解題」と、次の「批評」は、河本孝之の独立した文章として著作権が(本人が言おうと言うまいと)法的に発生し設定されているため、著作権法が保障している範囲を超える引用や転載はできません。

さて、「戦争責任者の問題」の著者である伊丹万作氏については、既に『ウィキペディア』の「伊丹万作」という記事で詳細な解説が書かれており、ここで更に追加できる情報は持ち合わせていません。簡単にご紹介すると、伊丹万作氏は1900年1月2日愛媛県で生まれた映画監督です(本名は池内義豊)。1946年に若くして結核で亡くなっており、それまでのあいだに20数本の作品を手掛けたり、いくつかの文書を発表しました。ご存知の方も多いと思いますが、既に亡くなっている息子さんも伊丹十三という名前で映画監督を勤めました。この短いエッセイが掲載された『映画春秋』という雑誌は、友田純一郎氏をはじめとするキネマ旬報同人が編集して映画春秋社から発行された、『キネマ旬報』の姉妹誌でした。発行されたのはわずかに5年間という短い期間でしたが、本稿でご紹介する伊丹のエッセイをはじめとして、黒澤明、木下恵介、新藤兼人といった若手の映画人のシナリオも掲載していたようです。

それから、冒頭にも出てくる「自由映画人連盟」、それから後の段落に出てくる「自由映画人集団」については、伊丹がこのエッセイを書いた1946年の4月に自由映画人連盟が、映画界の戦争責任者のリストを作成・公表して、それらの人物を映画界から追放せよと主張したようです。「連盟」と「集団」が別の団体なのかどうかはわかりませんし、はっきり言って些末なことだと思うので詮索するつもりはありませんが、伊丹のエッセイが書かれた直接のきっかけは、戦争責任についての法律論や一般論に彼が興味をもったからではなく、こうした特殊な事情があったという点は留意してください。

僕が伊丹万作氏の「戦争責任者の問題」というエッセイを知ったのは、斎藤貴男・森 達也『元戦艦武蔵乗組員の「遺書」を読んで考える 日本人と戦争責任』(高文研, 2007)で紹介されていたためです。そして、その本では「戦争責任者の問題」の全文を掲載した、佐高 信・魚住 昭『だまされることの責任』(角川文庫 15100, 角川書店, 2008, 1st edn., 2004 from 高文研)という本も紹介されています。僕はこれら二冊を読んで、改めて伊丹の「戦争責任者の問題」を当サイトでもご紹介して、僕なりの批評も述べておこうと思いました。

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批評(河本孝之)I: 2024-06-10

僕は伊丹のエッセイを詳しく分析したり解釈する必要を感じていません。どちらかと言えば、伊丹のエッセイで展開されている議論を批評しつつ僕自身の意見を述べるための前置き、あるいは僕の議論を展開するためのきっかけにすることが目的となっています。そもそも、伊丹のエッセイは一時間もかからずに目を通せるほどの短い文章であり、そして特に後半は自由映画人連盟(集団)との関わりという、はっきり言って些末な事柄を述べているにすぎません。僕が先の「解題」で挙げた、伊丹のエッセイを紹介している二冊の対談本でも、伊丹と自由映画人連盟(集団)との関係といった事実関係については殆ど問題にされていないわけです。したがって、伊丹のエッセイで読むべきところは、前半の「この馬鹿正直をわらう人はわらうがいい。」までであって、そこから後は読まなくてもいいと思います。

伊丹の主張のコアはシンプルであり、先の戦争について多くの人々が「自分たちは騙されていたのだ」と弁解し、要するに自分たちに先の戦争について責任はないのだと言いたがっている状況について疑問を表明しているわけです。実際には、物心がつかない子供を除けば大半の成人が戦争を支持したり戦争に反対しないという態度を取りました。そして敗戦後になると、戦争に消極的だったり疑問を感じながらも敢えて反対と言わなかった人々は「自分たちは本当は反対だった」から責任はないと言い、そして周囲の知人を恫喝してはあれこれと戦時体制として国民が為すべき義務を押し付けていた人々も「自分たちは騙されていただけだった」から責任はないと言い、つまるところ大半の人々が自分には責任がなく、責任は政治家や軍部にあったと言うわけです。では、その理屈で言えば昭和天皇にも責任があったと言えるはずですが、それは言わない。そして、手頃なスケープゴートとして戦犯が求められ、巣鴨で次々と処刑されていくたびに日本の戦争責任が「後処理」されていくかのような幻想に陥っていくということになります。こうした多くの人々のメンタリティは、もちろん伊丹が疑念を表明した後も、多くの著述家や研究者によって「無責任体制」として語られてきており、大勢としては、令和に入った現在も変わっていないと言えるでしょう。

戦争責任という話題については、それこそ大量の本が出ています。ここで気軽に従来の議論や論争を解説したり、それらを総覧・概括した上で意見を言えるだけの力量や時間や経済的な余裕(全て図書館で無料で読めるとは限りません)は、僕にはありません。もちろん、そうした議論を全て知っておかなくては適正な考察や議論ができないというものでもありませんし、実際にそれらの議論は目に止めるまでもないクズみたいなものが大半を占めているものです。そして、それらの中からどういう議論を読んで学ぶべきかと言われれば、その基準として他の著作で積極的に言及されたり紹介されている議論を(それに対する是非の判断は別としても)参照するのが望ましいでしょう。このたび伊丹のエッセイを取り上げたのは、そういう理由からです。確かに、まだ誰にも知られていない優れた議論が誰かによって書かれているかもしれませんが、僕は学術研究についても、そういう「隠れた名著」や「知られざる天才」のような妄想に取りつかれて多読や乱読を事とするような連中は、端的に言ってものを自分で考える力や意欲のない人間であって、まともな精神の持ち主が真似たり学ぶ必要のないことしか言えないような人だと思います。しょせん、読書だけで自分自身の考えを打ち立てるには限界があり、何をどれだけ読もうと、あるいは読んでいなかろうと、最後は自分自身で考えて自らの意見を立てなくては納得がいかないものです。どこかにある「正解」を探すことにばかり時間や労力やお金を使う人々は、要するに自ら考える力のない人間なので、そんな人が、まだ知られていないだけの優れた意見を学者などに先んじて見出すなどという可能性は低いでしょう。自ら考える力がない単なる乱読家や多読家に、どうして見つけた文書が優れた意見を述べていると判断する力だけはあるのでしょうか。思想や学術の文書というものは、骨董品ではありません。古物商は、自らは人間国宝級の焼き物を制作する技がなくても、彼自身が人間国宝級の鑑識眼という別の才能をもっています。しかし、他人の書いた本を読み漁るばかりで自ら考える力のない読書家というものに、或る著作物の価値を推し量る鑑識眼に相当するような学識や知性があるとは思えません。

さて伊丹のエッセイを読むと、伊丹には、なによりも当時の実感として、周りで「騙された」と言っている人々に「ふざけんなよ、おまえら」という憤りのようなものがあったように感じます。辟易したり呆れているというよりも、何か腹を立てているように読めるわけです。あんたらは昭和20(1946)年の8月になるまで、隣近所の人間に向かって平気で「非国民」だの「国のために死ね」だのと言っていたではないか、と。騙されたというなら、誰に騙されたというのでしょうか。隣のこの人、近くの交番や役所にいる彼ら、そして学校の教師、そうした人々を一人ずつ指さしていけば、誰からも指をさされない人などいないでしょう。

ところで、斎藤・森の対談集に登場する渡辺 清という旧帝國海軍の人物によれば、周囲の大人や軍隊の上官だけでなく、天皇にすら騙されたという心情が述べられています。

[...] 僕は正直「コン畜生」と思った。これがあの天皇だったのか。これが生命と引きかえてもいいくらいに崇拝していたあの天皇だったのか。[...] それとは知らず、僕はすべてを天皇のためだと信じていたのだ。信じたがゆえに進んで志願までして戦場に赴いたのである。[...] それがどうだ、敗戦の責任をとって自決するどころか、いのちからがら復員してみれば、当の御本人はチャッカリ、敵の司令官と握手している。ねんごろになっている。おまけに手土産なんかもらって、「マッカーサーがチョコレートをくれたよ」などと喜んでいる。厚顔無恥、なんというぬけぬけとした晏如たる居直りであろう。[...] できることなら、天皇をかつての海戦の場所へ引っぱっていって、海底に引きずりおろして、そこに横たわっているはずの戦友の無残な死骸をその目に見せてやりたいと思った。これがあなたの命令ではじめられた戦争の結末です。こうして三百万ものあなたの「赤子」が、あなたのためだと思って死んでいったのです。耳もとでそう叫んでやりたい気持ちだった。

[斎藤・森, 2007: 13-14]

もちろん、伊丹の主張は上記のような渡辺の文章にも当てはめられるのですから、渡辺も騙されたとだけ言っていればいいわけではなく、現に渡辺は次のように書いています。

では、それならば僕はこの戦争に対する責任から免れられるのか。それから完全に自由でいられるのか。答えは否だった。どうしてもそうだとは言いきれなかった。いくら自分をかばい、自分に都合よく逃げて考えてみても、責任がない、ということでは自分を納得させることができなかった。どういう動機にせよ、事実、僕は戦闘に参加したのである。そこに自分の一切を賭けたのである。僕はここではっきり言いたい。僕にはその責任がある、と。

[斎藤・森, 2007: 15]

ここでまず見ておくべきなのは、彼のように自分に責任があると公言している人物であっても、まずは自分に都合の良い逃げ口上を考えてみたということです。もちろん、それは渡辺を責めるために指摘しているわけではなく、人にはそもそもそういう傾向があって、そこを越えて考えたり自分を律することは難しいだろうということです。そして、これも誤解のないように書いておかなくてはならないでしょうが、こう解釈したからといって責任を取ることは難しいから現状では仕方がないなどと言いたいわけではありません。

これは昔から当サイトで書いていることですが、この国は太平洋戦争の戦前と戦後で憲法を始めとする形式は色々と変わりましたが、実質あるいは実態では変わっていないところが多いわけです。官僚が産業界を牛耳っている、つまり生産手段である企業や漁業や農業などを国家が助成金制度や許認可権や農協などで管理しているという意味では、或る種の「社会主義国」と言ってもいいわけで、僕は二十代の頃から「日本は歴史上で最も成功して発展した社会主義国だ」と言ってきました。つまり、日本は資本主義や自由主義のコスプレなんですね。中国が社会主義のコスプレをした専制国家であるのと似たようなことです。アメリカだって、実際にはユダヤや WASP や一部の有力な家系が貴族的に支配しているとも言えるところがあって、民主主義のコスプレと言ってもよいのでしょう。そして、こうしたことを見てくると、「戦後」だとか「戦前」といった言葉を使って、悪しき記憶を切り捨てたいという欲求や焦りのようなものを感じます。国家どうしの取り決めとしてはともかく、いまだに日本は周辺諸国に国家として戦争犯罪の数々を謝罪していませんし、賠償のようなことをしているつもりでも、佐高・魚住の対談で語られているように、実際には戦後賠償を兼ねた ODA の大半は日本企業へのキックバックになっていたりします。戦前から戦後にかけて、大半の日本人の精神性は全く変わらなかったわけで、マスコミも自分たちが戦前なり戦中になにをしたか、あるいは戦後ですらマスコミの戦争責任について口を塞いだという二重の責任があるのに、それを殆ど話題にしません。彼らも、この国の多くの人々と同じく責任を逃れたいわけです。

しかし、責任を取るべきだと自覚できる人や、責任を実際に取れる人は少ない。なので、これを言うと「取れる人は強い人」という英雄ストーリーで流されて終わったり、あるいは責任を各自で自覚して取るという自己責任論の変形になって流されたりするわけです。これでは、恐らくなんにも変わらない。僕が専攻している哲学でも言えるように、どれほど常識を斜に見たり覆すような、空気を読まない議論を本にしようと、そんなものを読んだくらいで人の考え方やものの見方が変わるわけがないのです。でも、だからといって、僕らのように国公立大学の博士課程に進んだ人だけがやれることだ、などと逆差別をしたところで、それはただの大阪維新的な反知性主義でしかありません。わざと責任を厳しく指弾する文化芸人を用意して、その異常さを叩くことによって大衆の責任逃れに加担するというのが、雛壇芸人のようにエキセントリックな反応をする思想家や学者や物書きやジャーナリストをマスコミが「いじる」ときの常套手段です。

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批評(河本孝之)II: 2024-06-10

責任をとらない、責任を逃れようとする、あるいは責任に気付かないという、多くの人々の脆弱性なり欠点なり未熟さとも言える傾向は、もちろんイージーで SNS 的とも言える子供じみた正義を振りかざして糾弾しているだけではなんにも変わりません。しかし他方で、それが人の弱さであり云々といった、演歌や歌謡曲のセンチメンタルな自虐プレイを延々と続けたところで、そんな本人が死ねば消し飛んでしまうような感傷を口にしてなんになるのかという気もします。人が自ら何事かを成し遂げる(それほど大袈裟でドラマティックな偉業なんかでなくてもいいわけです)という目標や期待や希望の僅かな一部として、少しは自分たちが暮らしやすい世の中にしたいといった内容がありさえすれば、それを蹴り落とすようなことなしに生き続けることでも、子供や周囲の人々のためになると言えるわけで、そういう世の中の仕組みにあって自分がどういう役割や価値をもつかという想像力があるかどうかの問題になるわけですね。その価値なんて、実際のところ僕やみなさんのような凡人に、どれほどのものがあるかなんて、たかが知れているかもしれません。しかし、そういう人が数千万人の単位で責任に向き合おうとせず逃れることばかりしている民族というのは、要するに地域や国家の規模で生息している「卑怯者」という名前の動物でしかありません。知識や知恵や知性がわずかでもありたいと思うのであれば、犬畜生じゃあるまいし、少しは自分自身、そして他人のことも考えようよという話を僕はしているだけなのです。僕は「人類史スケールの保守思想家」を名乗っていますが、僕が「日本」などというスケールや観念なんて、哲学者にとっては些事でしかないと言っているのは、なにもシニシズムや露悪趣味からではなく、そういうスケールでの歴史や風俗から距離を置いて眺めたり批評する視野がなくては、どのみち僕も含めた凡人なんて保身や処世術だけになってしまいやすいからです。

このような議論は、たとえば日本の企業についても展開できます。僕は当サイトの「落書き(Notes)」というコンテンツで、たびたび日本の企業、特に大企業や上場企業の人事部にはまともな人材がいないと言ってきました。その最も明白な根拠は、具体的に調べてはいませんが、日本の大企業や上場企業の人事部に、社会心理学、労働法、産業社会学といった、いわゆる human resource にかかわる大学の学科を出ていて、しかも修士号以上の学位を持っている人は、たぶん1万人に1人もいないと思います。つまり、日本の企業の人事担当者なり人事畑の業界というものは、はっきり言えば義理人情や安っぽい経験だけで成立している素人集団なのです。もちろん、学位さえあれば人事の実務を適正にこなせるなどと言いたいわけではありません。しかし、ごく常識的に考えれば、そういう専門の知識や技能を持つ人達の中から人事の実務を適正にこなせる人材を選んで、該当の部署に配置したり昇進させるのが当たり前でしょう。でも、日本の企業では人事にそういうことを求めないわけです。これは他の部署でも同じで、つまるところ全ての部署においてまるっきり素人を続々と採用し、そして社内でだけ通用する商慣行を覚えさせる(そして、その多くが脱法行為や違法行為なわけです)。入社するときに、大学で余計なことを覚えていると、却って入社してから社内の商慣行に疑問を覚えたり、あるいは内部告発されるリスクもありますね。よって、会社でやっていることに疑問を覚えないような人材を望ましく、それゆえ一括採用したロボットのような人の方が望ましいのです。そして、日本でリクルートを始めとする就職情報会社や人材紹介会社などが、他の国々と比べて異常な産業規模になっているのも、企業就職するためのルートをそうした会社からの紹介やエントリーに集約して、そこで教えられる就活関連の印象操作や事実上の意見誘導などにより、体の良いロボットを送り出すわけです。しかし、彼らは「情報を提供しているだけ」だとか、あるいはマッチングの「場」や「チャンス」を提供しているだけだと言い張って、送り出した人材に関わる責任はとりませんし、自分たちがどのように学生を誘導したり管理しているかの責任も取らないわけです。そういう具体的なことは、もちろん「個人情報に当たる」ので、外からは何も調べようがないわけです。よって、この国において、はっきり言って「人買い」にすぎないこれらの就職関連の会社と、それから採用する側の企業の人事部は、どちらも責任をもちたくないわけです。現今の企業就職に関わるあれやこれやの慣行や仕組みや制度は、こうした無責任な人々の利益や保身に利用されているにすぎません。ただ、そんなことをやっていた大企業がどうなったかは、既にみなさんもご承知のように、メーカーは検査の不正、食品会社は内容物の不正、そして東芝のような長い歴史のある企業でも、既に数々の不正や不祥事によって企業体としては崩壊しつつあります。それはそうでしょう。凡人が凡人を採用するだけであれば、たいていの人は自分よりも有能そうな人は採用しないので、どんどん人材の質が落ちていくのは、殆ど自然法則と言ってもいいわけです。

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批評(河本孝之)III: 2024-06-11

責任について一般論となりますが、僕は会社で情報システムや情報セキュリティという管掌を担当する部長職を拝命して20年ほどになります。そうして、入社ガイダンスや社内の定期研修などで、これまでに何度か責任について話したことがあります。その主旨は、組織としてサービスを提供したり契約を交わすといった各人の役務について、大半の従業員に責任など取れないということです。もちろん、責任が取れないからといって、無責任でよいとは言っていません。つまり、就業規則などで言うところの「業務に専心する責任」を負うことは、従業員である以上は当たり前です。しかし、その結果として起きたインシデントや法的な問題などについては、従業員が個人として責任を負うことはできませんし、負うべきでもないのです。

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参考文献

斎藤貴男, 森 達也

2007

『元戦艦武蔵乗組員の「遺書」を読んで考える 日本人と戦争責任』, 高文研, 2007.

佐高 信, 魚住 昭

2008

『だまされることの責任』, 角川書店(角川文庫 15100), 2008 (1st edn., 高文研, 2004).

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