Scribble at 2024-04-17 17:32:02 Last modified: 2024-04-17 17:34:17

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著名人になりすます詐欺広告への対策を巡り、米IT大手のメタ(旧フェイスブック)が16日に声明を発表。「社会全体でのアプローチが必要」などとした内容について、自社の責任を回避しているとして、なりすまし被害を訴えている当事者から反発の声が出ている。衣料品大手ZOZO(ゾゾ)創業者の前沢友作さんはSNS上に「なめてんの?」などと投稿、不快感は鮮明だ。

「なめてんの?」 メタ〝責任回避〟声明に前沢友作氏が不快感 著名人なりすまし広告

さきに述べた通り、僕は Facebook の個人アカウントの運用は止めた。会社の(マーケティング的に無意味な)Facebook Page の運用という都合からアカウントは削除していないが、そのうち経営会議で「SNS の無意味なプレゼンスを維持するのは典型的なサンクコストであり、工数を1分割くことすら愚行である」と起案する予定なので、そこで決議されたら会社のアカウントなんてさっさと消してしまおうと思う。だいたい、検索にヒットせず、しかも Facebook でいまだにたむろしてる情弱を相手にしてる時点で終わってるだろう。いまどきリア充をアピールしたいなら、同じ meta が運営してる Instagram の方が有効なのは明白だ。

ということで、個々のユーザとしては Facebook を使わない、使わせないという地道な活動で抵抗する他にないわけである。詐欺師はもとより犯罪者が地球上、そして人類史上からいなくなったりはしない以上、そしてそれらを必要悪だと許容する道理がないのであれば、われわれがやるべきことは文化的・社会的な牽制であり予防であり、そして場合によっては(飽くまでも比喩としてだが)殲滅・殺戮であろう。そして、われわれは "Thanks God" と言いたくなるほどイージーに、こうしたことが可能なのだ。つまり Facebook にアクセスしない、あるいは Facebook のアカウントを削除すればいいだけなのだから。

もちろん、いまだに Facebook でしか交友関係を維持していないという人々もいることだろう。でも、そういう人々のために大勢を犠牲にするわけにはいかないので、僕としてはそういう人々に配慮して何事かを手加減して判断するようなことはしない(そもそも、哲学者にその手の斟酌なんて期待する方がどうかしている。われわれは、『嫌われる勇気』とかサバイバルの哲学なんてクズみたいな本を書いてる「出版思想家」や「哲学屋」どもとは次元が違うのだ)。そういう人々は勝手に詐欺広告に騙されるなり、あるいは Facebook 上のセコい交友関係にしがみつき、そこで生じるリスクを受け入れる責任がある。

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