Scribble at 2024-05-09 12:09:32 Last modified: 2024-05-09 12:13:12

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What We Miss When We Aren’t Together: 4 Arguments for a Return to Office

RTO (return-to-office) の方針を大企業が掲げ始めているという報道は、何度か目にしている。アマゾンのように、会社へ戻るかクビかという酷い選択を迫る事例もあるし、例によって一部の「対面信者」による同調圧力で多くの従業員を集めている会社もあろう。もちろん、会社で仕事することにもメリットはあるし、ここ数年で分かったように、自宅で仕事することにもメリットはある。したがって、どちらかだけに決めるのであれば、それに納得できる社員だけに絞る必要がある。嫌な人を縛り付けても生産性が下がるだけだからだ。よって、適材適所という妥当な思考の一部として、どう考えても適所がなければ会社をやめてもらうしか無いという選択肢も含めて決断する必要がある。会社はままごとでもサークルでもないのだから、業務に支障がない限りにおいて「仲良し」を増やすことなど目的ではないからだ。

ということで、上記の記事で RTO を正当化する理由を拾い上げてみると、まず第一に "Negative effects of full-time remote work" というのが挙がっている。入社してからずっとリモート・ワークだったせいか、メンタルに不調を起こして退職する新卒も多いという話題があった。それが social isolation のせいだったかどうかは分からないし、そもそも仕事以外の人間関係でカバーできるような生活をしていたのかどうかも分からないのだが、確かに一部の人(とりわけ独身者)にとってリモート・ワークだけの就業には、何らかのマイナス面があるのは事実だ。でも、だからといってただちに全員を会社へ戻すまでの理由にはならない。僕はリモート・ワークでメンタルにマイナスが生じているとは全く思っていないし、会社の人々はもとより他人であって、友達でもなんでもないのだから、仕事以外での関わりは必要ない。また、僕らのような管理職は大半の従業員と一緒に仕事をするわけでもないから、職場でももともとやりとりなんて頻繁にはないのである。

次の "Innovation suffers" は、かなり疑わしい。業種や商材によって、こんなことが言えるかどうかは違うだろう。そして、これは重要なことだから5回ほど繰り返してもいいのだが、大半のビジネスや殆どの企業は、別にイノベーションなんて必要としていない。マッチ棒の小売店に、なんの発明が必要なのか。石鹸の営業代理店に必要なイノベーションとは?

そら、比喩として言えるなら「営業手法の開発」とか言えるかもしれないが、わずかでも営業の経験がある人間として言わせてもらうなら、大半の営業マンに必要なのは、寧ろ「営業の基本や常識」である。こういうものが整備されていなくて、属人的な口八丁だけに頼っているから、日本の営業というのは場当たり的なことの繰り返しで生産性が低く、人当たりが良いだの押しが強いだのといった個性だけで営業成績が決まってしまうのだ。営業とは、本来は応用心理学であって科学なのに、東アジアの辺境国家では上場企業であろうと原始人レベルの営業手法を教えている。よって、会社に出てくるのどうのという以前の問題なのだ。

次の "Miscues and miscommunication" については、なるほど Zoom とか、あるいは1年ほど話題となり、いっときの流行に乗って社名まで変更してしまった愚かな会社もあるが、メタバースなんてのもコミュニケーションの手段としては色々な限界がある。それは確かだろう。でも、相手の表情や素振りが解りにくいという前提でコミュニケーションをとる工夫ができて良いはずだとも言える。相手が見えていないとミスが生じるというリスクを理由に対面を求めるだけでは、チャットやメールや手紙や電話という手段の否定でしかなくなる。人は、伝達手段を必要や目的に応じて選ぶし、選ぶべきなのであって、業務上のやりとりでも対面の方が有効な場合もあれば対面が不要である場合もあろう。

それから四つめに "Lost knowledge" とあるのは、特に新卒などが入社してからずっとリモートのままだと、色々な問題が起きるとされている。所属意識や責任感の欠如だとか、プライベートを優先しすぎるとかだ。もちろん、それは僕も実体験として理解できる。しかし、会社に人を集めて対面で仕事をすれば責任感を醸成できるというのは、僕はコロナ禍よりも前からある伝統的な錯覚だと思うので、この理由も支持できない。会社でみんな集まって仕事をしていたときですら、別に会社員なんて大して強い責任感もなければ所属意識もない。そして、そのために会社で運動会をやるとか、そんなことを押し付けると、たいていは逆効果である。だいたい、昭和の時代にそんなことをやっていても良かったのは、多くの会社で平均的な年収のサラリーマンですら都内に一戸建ての自宅を建てられるような牧歌的な時代だったからである。いま、平均的な年収のサラリーマンだと、都内で中古のマンションを買うことすら不可能だろう。正直、就業時間の他は、副業あるいは家庭の雑用や家事などで夫も妻も忙しい。自宅から会社までの1時間や2時間の通勤時間が、もう浪費としか思えないような家庭が多くなっている(もちろん、通勤中に資格試験で転職に役立てるなどというのも幻想である)。

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