Scribble at 2024-04-15 19:13:22 Last modified: 2024-04-16 07:43:50

添付画像

死刑囚側は、「法律による適正な手続きを経た刑罰」を定めた憲法31条などをもとに、「執行直前の告知では弁護人に連絡することもできず、不服申し立ての権利の行使は現実的に不可能」と主張。「死刑確定者の人権が国によって踏みにじられている」などと訴えていた。

「刑事判決を実質無意味にする」 死刑囚2人の訴え、大阪地裁が退ける 当日告知巡る訴訟

まず、死刑制度の是非については論じない。日本には死刑制度が現にあり、そして運用されているという前提で議論しよう。すると、僕も判決のとおり、こういう訴訟は訴訟を起こすという権利の濫用だと思う。

簡単に言えば、死刑判決を受けるということは、その場で殺されても仕方がないということだ。それでも、判決を受けてから死刑執行されるまでのあいだ、ひょっとして何かの間違いで冤罪だったかもしれないという事情で裁判を起こすということはあろう。したがって、判決が出ると同時に殺されないだけでも、国家権力に対する一定の牽制が効いていると言える。

しかし、そういう事情もなく、単に死刑を執行する手順が良いの悪いのと受刑者が訴える権利はない。なぜなら、そういう手続きを変更することで受刑者が回復できる権益なんてそもそもないし、現行の手続きで受刑者が被る損害もないからだ(そういうものが仮にあれば、死刑による刑罰だけでない別の罰を加えていることになるので、確かに無用な苦痛を与えていることになるかもしれない)。

なお、ここで元に戻って死刑制度について書いておくが、僕は死刑制度に反対である。人が他人をみだりに殺すことは罰せられなくてはならない。それはもちろんだ。しかし、だからといって、国家という擬制的な主体の名で制度的な殺人を認めることはできない。したがって、同じ理由により、どれほどさいとうたかを的なハードボイルドや、胡散臭いインチキ右翼やリバタリアンのリアリズムがあろうと、戦争もまた制度的に実行される殺人であるからには許容しかねる(無論だが、そうは言っても抵抗し反撃する権利はあると思うので、結果的に殺してしまうとしても危害を加えられたら問答無用で反撃する)。その根拠が単なる応報であろうと社会防衛であろうと、あるいは他のどういう理屈があろうと、裁判は人がやることである以上、必ず間違いが起きる可能性がある。

とは言え、日本は刑務所に収監する期間が短すぎるし、仮出所だの執行猶予だのと無用に有罪の者に対する手加減がすぎるように思うので、現在の死刑判決に相当する罪を決せられた者は死ぬまで刑務所から出してはいけないと思うし、新聞を読んだりテレビを見たりする権利も消えると思う(「自然権」すら人が「自然にある」と認めた権利なのであって、無条件の権利などあるはずがない。よって、刑罰を受けるものが無条件で文化的に暮らす権利を認める必要はないと思う)。ヘラヘラと遊び半分に人を傷つけたり殺すような者もいるにはいて、冤罪もクソもないという事例も多々あろうから、なおさらだ。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook