Scribble at 2026-05-26 07:08:47 Last modified: 2026-05-26 07:16:03

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MAGNIFICA HUMANITAS

哲学者である僕らにとっては本質的にどうでもいいことなんだけど(哲学と宗教を「同類」の話題だと思ってる人が多いのは分かるが)、カソリックの最高権威である教皇が発する回勅(教皇レオ14世回勅、2026年5月15日)というステートメントは珍しいので、色々なところで話題にはなっている。とりわけ議題は「AI 時代における人間の尊厳の保護」であるから、このたび不肖ながら企業の CAIO を拝命する立場として考慮しないわけにはいかない。もちろんだが「考慮する」とは言っても、弊社にクリスチャンがいるかどうかはともかく、特定の宗旨や教義にだけ配慮することが目的なのでもないし、むやみに多様性を掲げたいわけでもない(たぶん弊社にイスラム教やオウム真理教の信者は入社できない)。

たとえば、AI の利用において透明性の確保、利用上の責任、ガバナンスが大切だという一説は傾聴に値するし、そのための原則として「人の尊厳」はともかく「普遍的な目的への財の帰属」だとか「社会正義」だとかを掲げるのは、これまでの正統であれ異端であれ宗旨や東西の違いを問わず、宗教による数々の殺人、戦争、差別、階級制度、それから保守の思想家として言えば「偽の権威主義」などを振り返れば、かなり胡散臭いと言わざるをえない。

また、これはあくまでも僕の意見だが、本当にヒトという動物あるいは人という社会的な生活を営むわれわれに「労働の尊厳」だとか「労働の喜び」だとか、要するに働くことが生きるために不可欠の活動であるかどうかは、自明とは言えない。実際、そのようなフレーズが人の歴史において「ものづくり馬鹿の奴隷根性」や「技術者の矜持という下請け根性」へと簡単に転化してしまう自己暗示や発注元からの抑圧であった事実を無視するわけにはいかない。このようなことは、そもそも擬制であれなかれ「上の立場」から言うべきことではないし、自ら考えた動機や結論であるかのような自己欺瞞を誘導してもいけない。われわれ企業内の哲学者と言うべき存在は、そのような思考のリスクを、ただたんにクリシンや認知バイアスのカタログを並べたり教えるだけではいけないのであって、こうやって具体的な話題に即して指摘しなくてはいけない。

あーそうそう。どうして上のようなスクリーンショットを添付したのかを説明していなかった。国連もそうだが、1億人以上の話者がいるというのに、やはりカソリックでも日本語で公的な文書を作ろうとしない。こういうところに、日本でいかにクリスチャンというのが弱い立場にある(あるいは宗教として社会的に無視されている)かが現れている。立派な建物を含めて教会は色々なところにあるし、特に信者が迫害を受けたりヘイトを集めているわけでもないし、それどころかキリスト教系の女子中・女子高はブランドとしても一定の配慮を受けていると思うが、しかし社会的な影響力は「ゼロ」と言ってもいい。

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