Scribble at 2022-09-15 11:54:45 Last modified: 2022-09-15 19:56:05

ネットのオンデマンド配信サービスが登場して、ひとまとまりの映像作品やシリーズが好きなときに幾らでも鑑賞できるようになった。これまでは毎週の水曜日19時を待たなくては、『北斗の拳』でストーリーの顛末がどうなったかを知るすべはなかったのだが、いまどきの子供(や大人)は1話を見終わったら次のエピソードを見るかどうかは自分の都合や意欲に合わせて自分で決められる。確かに、これは過去に配信された映像作品だけの話であり、いま Amazon Prime Video で配信が開始された『ロード・オブ・ザ・リング 力の指輪』を次々と最終回まで観られるわけではない。しかし、過去の作品についてはそれがいくらでも好きなように観られるようになったという事実は、ものごとのスケジュールを立てたり、何かを処理する頻度や速度についての感覚を或る意味では変えてしまったような効果があろう。

でも、その反面で悪い効果もあるようだ。それは、過去の作品を手軽に安価で鑑賞できる(それどころか「いけないサイト」から無料でダウンロードすらできる)ようになったため、いま現に制作されている映像作品についても同じような調子で数分後にでも観たいといった、かつて僕らが小学生の頃ですら文句を言わなかったようなダダをこねる子供のような消費者が増えたということだ。そして、彼らの多くはかつてテレビで眺めていたような調子で、タダで観られるのが当たり前だと思っていたりする。せいぜい、subscription として料金を払っていても、昔なら映画1本すら見られなかった月額1,000円という料金で多くの作品が観られるという事実についても、サーバにあるデータをレスポンスしているだけだという感覚で〈消費〉している。

ものごとには消費だろうと処理だろうと限界があるし、或るアニメ作品を毎週の水曜日に鑑賞して12話を観るのであれ、あるいは今週の日曜日に6時間を費やして全話を観てしまうのであれ、自分の人生を6時間だけ消費するという事実には何の違いもない。そして、誰かと競ったり鑑賞している事実や経験が何かの条件になっているのでないかぎり、どちらにしても自分の知識や経験にとって何の違いもない筈である。毎週1話ずつ観て3か月ていどかかる作品を1日で観て済ませるのは、確かにそれだけが目的なら3か月分の subscription 料金を払わずに1か月分で済むという点で合理的だと言える。しかし、それだけのことだ。

人によっては、読書についても言われているように、全体をいっぺんに消化したほうが見通しを得やすいという意見もある。古典的な著作一つについても、その筋書きをつかみやすいというわけである。しかし、僕はこういう意見には必ずしも賛同しない。なぜなら、たいていの古典的な著作物というものは、そう呼ばれるに値する分量の著作であればなおのこと、1日や2日で読み通せるからといって1日や2日で書かれたわけではないからだ。結局のところ数多くの脈絡に置かれた著者が何度にも渡って書き継いだり書き直した著作物というものは、デリダの有名な「テクストの外には何もない」というフレーズが知られているように、著者自身の抱いている筋書きを(自覚のあるなしにかかわらず)超えたり逸脱したり、場合によっては著者の「真意」だったかもしれない意図に反するような意味合いをもってしまう可能性すらある。こういうものを手早く〈処理〉するということは、たいていにおいて予め読む者が色々な機会に見聞きした偏見を著作物に押し当てるだけの結果になりかねない。いっぺんに読み通すということは、つまるところ必要があるかないかとは関係なく急いで読み進めるということなのだから、無能や素人によくある話だが、貧弱な胃腸でも理解できるように「かんたん」で「やさしい」意味へと勝手に消化されてしまうからだ。その手伝いをしているのが、書店で山積みになっている「哲学書」を書き散らしている、何の国際的な業績もないスター哲学者たちというわけである。

もちろん、必要に応じて読み進めた結果としてアダム・スミスの『諸国民の富』やアレクシ・ド・トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』を二日で読了してもいい。しかし、無能な連中の勧めに従って、根拠のあるなしや要不要とは関係なく、ただの形式とか手順とか自意識や自己満足のためだけに時間を使うことだけは避けなくてはいけない。僕らアマチュアの役割は、大学や出版社といった利害関係や人間関係とは独立したところで、それらの無能どもを「無能」だと明言できることにある。彼らの真似をしたところで、せいぜいミナミのキャバクラでお姉ちゃんに「俺って先週の日曜に『資本論』を読んだんだぜ!」などと言っては、内心で小ばかにされるのが関の山だ。

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