Scribble at 2022-05-30 14:26:06 Last modified: unmodified

Cynically, this will never happen because reforms to battle educational issues in any democratic society usually takes more than 5 election cycles to show obvious results (and when the bad results start stacking up current leaders will take the flak regardless).

My students cheated... a lot (crumplab.com)

話題となっている記事は、はっきり言って「バカの自己紹介」という類の話だろうと思う。賢い学生にハックされましたというだけのことでしかない。でも、それについて議論する状況を論じている、上のようなコメントには、いくらか学ぶべきことがあると思うのだ。ふだんは、教育学なんて学者と教師の未熟な「素人社会思想」や「アマチュア倫理学」から捻り出された思い込みの手法を、他人様の子供を使って人体実験しているだけのことだと侮蔑しているが、もちろん適切な教育(指導)を志す人々をバカにしたいわけではない。しかし、文科省から教育現場や教育学に至るまで、日本からどうやってこれだけの無能を集めたのかと感心するほど極めつけのバカが多すぎるのも事実だろう。

だが上記で引用したように、教育政策や教育手法の実装は、そもそも真面目に追跡調査なんて社会科学者として一人もやっていないと思う。ただの一人も、学級経営だの指導要領の改訂だのがどれだけの生徒にとってどういう効果があったのか、たぶん東大に入った人数のように調べようと思えば中学生でもできるようなことしか知らない筈だ。そしてさらに、制度として自分たちが手掛けた政策とか教育方法の効果を調べたり反省することなく、大多数の当事者は効果が表れるまでに職場を替わったり(教員の転任はよくある)、担当から外れたり、もっと長期のフォロー・アップが必要な効果については、当事者の大半が死んだ後でしか分からない可能性もある。よく、最近の流行り言葉で「鬼速PDCA」などと言ったりするが、短期間でフィードバックできるタスクに break-down する知恵すら殆どの官僚や教員にはなかろう。というか、すぐにフィードバックの結果が出ると責任をとらなくてはならなくなるのだから、とりわけ国家官僚には効果が短期的には分からない総覧的で大風呂敷の教育政策をぶち上げるインセンティブがある。そのために必要なのが、大風呂敷を広げる道具としての「哲学」や「倫理学」だったりして、政府の何とか委員会にバカ面下げて哲学や倫理学のプロパーが参加したりするわけだ。

したがって、教員や官僚に具申する立場になる機会があれば、逆に物事を正確に理解して break-down してゆくように、彼らを詰めなくてはいけない筈なのだが、大風呂敷を広げて雑なお喋りを「哲学的な議論」だと錯覚している無能が哲学や倫理学や教育学を教えている現状では、どうにもバカ同士の寄り合い所帯に教育を委ねるしかないのかもしれない。

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