Scribble at 2020-04-19 23:04:53 Last modified: 2022-10-03 15:48:05

現在台頭しつつある生権力は、感染拡大防止という「絶対善」とGPSのような監視技術に結びついているため、はるかに強力である。韓国や台湾では初期からスマホの位置情報で感染者の行動を監視している。欧州も始めている。

東浩紀「緊急事態に人間を家畜のように監視する生権力が各国でまかり通っている」

とりあえず個人情報保護マネジメント・システムの実務家であり、加えて企業の元取締役としてポジション・トークをさせていただくと、上で引用したようなセンセーショナリズムは、社会科学的に何の効力もない。東氏は、以前に都内のしょーもないベンチャーで哲学担当取締役をやっていたらしいが、哲学者・思想家として稚拙なセンセーショナリズムなど無効であると知ってる筈の哲学プロパーが、わざわざ大手新聞のメディアで、こんなポーズとしか思えない発言を原稿用紙で数枚程度の「ツイート」と言ってもいいくらいの分量で語るというのは、まったくの欺瞞でしかない。二言目にはフーコーだ、デリダだ、柄谷行人だと、いったい《ぼくたち思想おたくのヒーロー》の名前を何度だけ連呼すれば、こうした東アジアの辺境地帯でものを書いている人間は、そんな name-dropping に人を動かす力など無いと気づくのだろうか。

たとえば、彼は何年も前から一貫してテクノロジーに過剰な期待はできないと言っており、インターネット通信が登場しても、SNS が流行しようと、スマートフォンをみんな持つようになっても、世の中は変わっていないと語ってきた。しかし、彼らが逆に過剰に保護しようとする権利とやらは(もちろん僕も総論としては保護するべきだと思う。なぜなら、みんなが最初から誰もが持つ自然権だからではなく、良くできた社会にとって望ましい擬制なり約束事だからだ)、GPS やら通信法制によって侵害されてゆくという。もちろん、これは当たり前のことだ。どんな技術でも違法なものを開発したり使用することはできない。われわれの社会は法律があってこそ、クリエーティブだろうとサイバーライオンだろうとイノベーションだろうと、その手の暇潰しにいそしむ人たちが生きていける。われわれが一定の制約の上でものを作って利用しているなどということは、フーコーなど持ち出す必要のない、歴史を正しく学べば誰でも理解できる事実であり、それを理解していて適切な行動原則をもって生きている人を「大人」と呼ぶのである。つまり、上記の安っぽい思想トークは、子供が「みてみて、人間社会は法律で規制されて成り立ってるんだよ!」と、われわれ大人に覚えたての社会科の知識をまくしたてているようなものだ。

では、われわれは命と金を秤にかけているのだろうか。そんなことはあるまい。池田信夫君のようなリバタリアンがどれほど経済活動を優先して、どれくらいの割合で回復した人に抗体ができるのかもわからないのに、これまた子供のように覚えたての「集団免疫」という疫学用語を中二病さながらに叫び回っていようと、そんなことを真に受ける人は殆どいない。実際には、医療体制や公衆衛生的な措置が不十分であるという事情ゆえに感染者が広まっていると想定されるのであって、その一部に抗体ができているというだけのことだろう。よって、店を開けないと食べていけないと言っている自営業者の大半は、はっきり言えば真剣にそんなことをしたくらいで事業を継続できるとは思っていない筈である。なぜなら、どのみち店を開けても客は殆ど来ないと知っているからだ。つまり、彼らは命と事業運営を秤にかけるというメッセージを発して、内部留保を怠ったことなど棚に上げて被害者ヅラすることで休業補償を求めているのだと理解することが適切だろう。確かに、被害者であるのは確かだろうが、その被害の一部は自分たちの無能ゆえだと自覚することも経営者として大切だ。疫病は天災であり、誰かに責任や補償を求めることなどできない。

テレワークは多くの会社に導入され始めている。それは、彼が言うようにテクノロジーを利用しても業務を続けられる会社が現にあるからだ。はっきり言えば、大半の会社なんてあってもなくても実は人が生きるために必要な事業でもなんでもない。アイスクリームの会社が2社や3社くらい倒産しようと、それで僕らの暮らしや文化にどういうインパクトがあるというのか。同じく、IT ベンチャーの半分が地球上から消失しても、たぶん僕らの生活に影響なんて殆どないだろう。東氏もそれが分かっているのだから、集会が規制されてもオンラインでミーティングすればいいと分かるだろうし、そこに何らかの監視装置があったとしても、技術的に回避する手段は幾らでもあると知っているだろう。そして、本気で自分たちの権利を守りたいと思っている人々は、たとえテロリストだろうと、そういう技術をきちんと学んで(目的はともかく)適切に利用している。要するに、Google と Apple がスマートフォンの位置情報を共有しているといったことくらいで「監視社会」だのなんのと、センチメンタルな社会学者のフレーズを借りてきて振り回すというのは、逆に自分たちの権利を(政府に保障してもらうなどという子供じみた態度ではなく)自由主義社会の一員として自分自身で守るというスタンスに欠けている。そういう意味でも彼の発言や、彼の発言を天晴と言い立てる社会主義者たちは、子供だとしか言いようがない。

企業の Chief Privacy Officer として僕がこんなことを言うのは語弊があると思うが、僕は大半のパーソナル・データなんてクソだと思う。

凡人についていちいち、どこのキャバクラへ行ったの、先週は誰とステーキハウスへ行ったの、そんなことは政府にとってどうでもいい情報だ。ともかく何かと言えば「個人情報」だの「プライバシー」だなどと言っている人たちは、僕の職責としては適切にデータを扱う能力も責任も実績もあるわけだが、ちょっと自意識過剰だと思う。君らのチンコが何センチだろうと、男だろうと女だろうと、そんなもんは本当のところ他人にとってはどうでもいいことなのだ。でも、どうでもいいということは差別しないということでもあり、それゆえ法律で決まっている範囲では誰彼の区別なく、全ての情報を公正に扱うべきだと考えることでもある。これが、正しい個人情報オフィサーの思想というものである。事務的な手続きに必要という意味では《用途》があるけれど、他人の個人情報なんてそれ自体は扱う人にとってどうでもよいものなのであり、そうあるべきなのだ(逆に関心をもつ方がおかしいのである。そのような動機は、たいてい差別や犯罪にかかわるからだ)。

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