Scribble at 2022-01-13 17:04:33 Last modified: 2022-01-13 17:05:37

僕が小学生の頃に歴史とか考古学の勉強を始めた頃に考えて、いまでもやっていることがある。それは、何か一つのテーマとか分野のテキストを決めるのではなく、ノートを決めるということだ。

考古学なら「考古学概論」と題したノートを作る。そして、しばしば冗談で使われるフレーズだが「ぼくのさいきょう」のノートとして作りこむ。そのため、まずノートのページを上下に二分割しておき、上にベースとなる大部のテキストを(もちろん基礎的な勉強として)まとめなおす。そして、二分割した下には、他の参考書やテキストを読んで追加するべき知識や注釈などを付け加えてゆく。よく言われる話だが、これは自分なりの説明の仕方で記述しないといけない。単に印刷してある文字を書き写すだけだと、身が入っていない写経と同じで、ただの宗教ロボットだ。それ自体に何か意味があるかのような錯覚を引き起こすのが宗教の伝統的な自己催眠だが、それは要するに何事かを学んで生きるためではなく、単に「死ぬのが怖い」という自意識をはぐらかす暇潰しのためでしかない。

ノートを決めて、テキストは複数を使ってノートの内容を拡充させていく。そのため、図書館で異なるテキストを借りてくるような、何度かに渡っての(傍から見れば)やり直しの作業が必要だ。他人から言わせれば、特に受験を控えるような人からすれば、無駄でしかない。もちろん、僕は高校までは受験と関係のない学校生活だったからできたし、大学の場合も現役では受験をやめたからこそできた話だった。それに、こういうことを実行したのは一部のテーマだけだったので、それゆえ実行していない他の分野は高校時代までに何の積み上げもなくて、かなり偏った学生になったわけである。

でも、これはこれで今もやると効果があるのは分かる。何年か前も英文法をやりなおしてみたし、一昨年は高校の数学3年分を数か月でやり直してみた。それから、今年の目標としては FORTH や C のようなプログラミング言語のノートを作って、まとまった素養を身に着けて業務に取り組んでみようというのが課題だ。

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