Scribble at 2020-09-24 17:19:24 Last modified: 2020-09-26 16:12:07

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My husband was jailed for daring to run against our president. So I ran in his place.

I Was a Stay-at-Home Mom. Now I’m Leading a Revolution.

久しぶりに NYT の動画を最後まで観た。ベラルーシは、例の「ウォッカを飲んでたら感染症なんて大丈夫だ」というバカげた発言だけが日本では報道されてきたけれど、この動画でもよく分かるように独裁政権が30年近くも続いている。そして、ようやく全ての世代を巻き込んで独裁者への抵抗が始まったらしく、これを同時代で見ている一人として教えられることは多々あるように思う。

池田信夫君だったか、人というものは政治的なことに関心をもっていない方が「幸福」なのだとか書いていたが、果たしてそうだろうか。結局、政治というシステムを作り出したことも人の文明と言えるものの一つなのであれば、これを一定の内容として維持するためには少しずつ政治的なことに配慮しながら生活するというスタイルを打ち立てて、子供から老人まで生活なりものの考え方に組み込むということを怠れば、たちどころにシステムの脆弱性によってベラルーシのような結果が引き起こされてしまうのではないか。逆に、政治的なことへの《もともとの無関心・無頓着》こそが憂慮されるのではあるまいか。自分では否定したり相対化しているつもりみたいだが、信夫君もしょせんは「リバタリアン」の一人に他ならないので、そういう意味では《自由》という概念を完全に履き違えているように思われる(つまり、僕はリバタリアニズムは一種の社会主義だと思っているので、自由主義の対局だと理解している)。自由というものは、どこからか降って来る cargo cult の落下傘物資でもなければ、ビル・ゲイツや菅義偉が大きな資産や権力で維持してくれる skyhook でもない。漫然と生きていれば維持されるようなものではなかろう。

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