Scribble at 2020-10-04 11:15:51 Last modified: unmodified

このほど11月に再び「大阪都構想」の住民投票が実施される。僕も大阪市民として投票するわけだが、もちろん反対するのは最初から変わらない。投票日が迫ってきていて、車に乗って拡声器で広報する人々も出てきているし、チラシも幾つか出回っているし、駅前では賛成やら反対やらでビラを配ったり演説する人たちもいるのだが、どちらも結局は「現制度は損だ」「新制度は損だ」と言っているだけである。まずもって、こういう見識の狭いところで地方自治体の制度を議論していること自体が、維新の theme setting に引きずり込まれている証拠である。

行政システムというものは、大きく言えば行政区域全体の予算配分という再分配の仕組みが重要であり、自分の収めた税金がすべて自分のために使われることなどありえないのである。年収500万円前後のサラリーマンだと、年間に収めている住民税は20万円くらいになるのだが、もちろん1年で20万円の予算では、警察官一人分の月給どころか、家まで帰ってくる途中の道で使われている全ての街灯の電気料金すら払えない。殆どの住民は、何かしら他の税収で得た財源から分配された費用で賄われている行政サービスの受益者だ。

いっとき、大阪維新の会と似たような「自己責任」論を振り回す金持ちのアメリカ人が、"gated community" と言われる柵で囲まれた居住地区を行政とは無関係に作って、自分たちの税金が他人に分配されるのは嫌だと言って、税金の徴収を拒否して自分たちでガードマンを雇ったりしていた。しかし、これが単なる行政サービスへのタダ乗りであることは明らかであった。なぜなら、こうした gated community の大半は消防、そしてガードマンが対処不能な犯罪については、結局のところ行政サービスである警察や消防署を利用しているからである。なにより、外国から攻められたときに自分たちで戦闘機を飛ばしたり空母を運用するつもりなのか。こういう、自分が自力で賄えることだけを理由に「自己責任」とか「自立」という言葉を持ち出すのは、アメリカ人のような300年ほどの歴史しかない風土で生きているならともかく、日本においては稚拙としか言いようがない。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook