Scribble at 2022-02-06 14:40:26 Last modified: 2022-02-07 17:36:39

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『今日から使えるフーリエ変換 普及版 式の意味を理解し、使いこなす』

フーリエ変換は、デジタル通信やデータの圧縮など、応用範囲が色々と僕の仕事にもかかわりがある。しかし、その割にフーリエ変換についての通俗書は意外に少ないので、手に取ってみた。簡単に言うと、第1章は全く余計で、しかも初学者を煙に巻いているだけだ。よって、第2章以降は読む価値があるけれど、著者には気の毒ながら第1章だけ切り外して破り捨ててもいいくらいである。ていうか、いま所蔵してる本の中で言うと、船越満明氏の『キーポイント フーリエ解析』(岩波書店)を丁寧に読みさえすれば、こういう雑な本はいらないと思うんだけどね。

第2章以降は丁寧な説明がされていて良好な印象を受けるのだが、本書全体について困惑させられることもある。その筆頭は、図表を示す「図1-25a」などが、わざわざ小さな字で印刷されていることだ。しかも網掛けがあるため、老眼鏡ですら判読するのに困り、読むのにイライラする。なんのためにこんなことをしているのか、講談社では編集職にタイポグラフィというものを教えていないのかと思わざるを得ない。たぶん、JIS のアクセシビリティ基準で言っても許容されない読みにくさだ。一部の色盲の方は、こんなにコントラストが低いと、ぜんぜん読めないんじゃないか。まさに無能や凡庸な人間が無頓着にやる一種の〈犯罪的な〉版下デザインだと思う。

第1章について繰り返しておくと、まず冒頭の80ページ近くを使ってフーリエ変換の、理論的に雑で、しかし概要としてはだらだらと長い説明が続く。そして、囲み記事などで解説している高校数学レベルの話も含めて、第2章になって再び最初から繰り返してゆく。いったい80ページも雑な導入部を読む必要があるとは思えない。また、理論的に雑ということは、この第1章はフーリエ変換をおおよそ学んだ人にとっての復習みたいなものなのだ。「あれよあれよ」と書かれたくらいで式の変形が納得できるなら、それはすでに学んだ人にとってのおさらいにすぎず、初学者は(そして意欲のある生徒に限って)そこを杜撰に説明されると読む気が失せるものだ。

多くの数学の通俗本に言えることだが、まったく議論の進め方が論理的ではない。学問としての数学というよりも、数学の成果を使った「計算」をしてきただけの方が書いている解説だとしか思えない。日本の数学の読み物とか通俗本というのは、とにかく理論的に雑で、構成も論理的ではなく、しかも独りよがりな「わかりやすさ」の基準で書かれているし、おまけにアクセシビリティすら知らない編集者が版下を作っていることすらある。もちろん、この手の通俗本が庶民の手にわたるようになったのは、せいぜい戦後のことだから、まだ100年も経験が蓄積していないのだ。学界だろうと出版業界だろうと「未熟」と言っていいくらいだから仕方ないとは思うけれど、やはり他の国ではいろいろと先行して成果が出ていたりするわけだし、学問の密輸業を営む国の学者であれば、せめて密輸の仕事くらいきっちりやって海外では一般向けの本をどう書いて作っているかくらい学ぶべきだろう。そういうことを堅実にやろうとする気がないからこそ、森田何某みたいな(はっきり言って「在野の」数学者として何の業績をあげたのかも定かでない)エッセイストの本を数学思想が書かれているかのようにありがたがるしか能がないのだ。

正直なところ、数学の通俗書で「これはよく書けている」と感心させられた本など殆どない。なので、対数とか一部の事項については、もう僕自身がこのサイトで解説の記事を書いてもいいくらいだと思っている。あと、期待していた『フィボナッチの数学』(ブルーバックス、未刊)も出ないようだし、これについてもちゃんとした数学の話として基本的な事項からまとめておいて、そのうえでバカをぶっ叩くのがよいだろう。

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