Scribble at 2024-05-04 08:13:09 Last modified: 2024-05-05 07:40:46

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なるほどね。RSS つまり XML には XSLT というフレキシビリティの高いスタイルが何年も前から規格が作られていて、実際に多くの WWW ブラウザではレンダリングに対応している。よって、RSS のフィードを展開する画面で XSLT を適用して閲覧してもらうというアイデアもありえる。でも、既にこれだけ普及している HTML と CSS のコンテンツに presentation として対置する、技術的な必要性もなければ、社会的な意義も感じられない。なので experimental であることは分かるけれど、ただのパフォーマンスという気もするな。やはり XML は JSON と同じくデータのマークアップとしての役割で応用していくのが効果的だと思うし、僕は XSLT が殆ど学ばれずに普及もしていないのは当然だと思う。そして、健全なことだと思うよ。XML でマークアップされたデータの presentation は、直に XSLT を適用するんじゃなくて、XML から HTML にコンバートして CSS を適用するのが正しい扱い方だと思う。

結局、HTML に XML としての validity を押し付けようとした XHTML が普及しなかったのも、規格のユーザとして言えば当然だったのだろうと思う。そら確かに、いま大流行のウェブ・スクレイピングという用途に照らせば XML として厳格なコードに鳴ってるほうが解析はしやすいだろうけど、正直なところウェブのコンテンツを制作している側、いわんやコンテンツそのものを作っている著者の立場から言えば、なんでそんなことを考慮しなきゃいけねーんだよって理屈だし。たとえば作家がコーディングやマークアップに配慮して小説を書くかってことでもあり、HTML のマークアップ・エンジニアやコーダがスクレイピングの業者に配慮して valid なコーディングをするかってことでもある。もちろんレンダリングに支障が出るほど雑なコーディングでは困るわけだけど、ともかく XML をウェブ・コンテンツに導入しようとした人々の「再利用」とか「プラットフォーム独立」とか、そういった観念論というか頭でっかちの理想だけでは不十分ということなんだよ(もちろん、哲学者である僕は理想をむやみに否定したりしないが、しかし理想というものには優劣があるのも事実だ。理想を語ればなんでもよいなんてことはないのであって、理想を打ち立てるのとは別に、僕ら哲学者のもう一つの役割はクズみたいな理想を叩き壊すことでもある)。

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