Scribble at 2022-05-28 11:08:55 Last modified: 2022-05-29 23:09:32

ちょうどリドレー『人妻とイノベーション』を読んでいるところで、なかなかおもしろい。

クルーグマンのはずれた「未来予測」

僕は父親が印刷会社の製版部長をやっていたという事情もあって、子供の頃からなぜか「校正は怖い」というフレーズを家庭でも耳にしてきたから、それなりに校正という作業へは敬意を持っているし、もちろんこんな落書きを投稿しているコンテンツでも、それなりに推敲してから公開処理に移しているし、いったん公開した記事を何度か読み返してもいる。矜持とまで言うつもりはないにしても、当家においてはごく自然な態度である。

なので、いきなり「人妻」なんて書いてあることに気付くのは造作もないのだが、ちょっと考えてもみればおかしな話ではある。山形浩生氏がブログの記事を〈パソコンで手書き入力〉しているなら、手書きで「類」と「妻」を書き間違えるという可能性はありえる(あるいは紙に書いてスキャンした文字の形状を OCR が認識し損ねたとか)。MIT の修士号をもっていようと、あるいは英語で寝言を口にすると自慢するくらい母国語を軽視している人間であろうと(母国語ができない人間に、まともな翻訳は不可能であるというのが翻訳業界の常識ではある。というか、こんなもん言語学としても常識だろう)、僕とあまり年齢が変わらないだろうから、老化という避け難い原因で書き間違えもしよう。でも、タイプしているなら、こんな間違いはありえない。"jinrui" を "hitozuma" とタイプする人間は、もう翻訳どころか NRI で業務報告書を作成する資格もないと言われて当然だろう。

ということなので、僕は上記の箇所はわざと「人妻」とタイプしたのだとしか思えない。が、当人には気の毒な事かもしれないが、その理由や意図や狙いを想像するほど僕は暇ではないのだ。「あーまたなんか、人をおちょくっとるな」というくらいの感想しかない。そもそも、僕にそんな意図が分かったところで、科学哲学者として何か業績を出すのに関係もなければ、システム開発のプロとして広告代理店から美味しい案件がもらえるわけでもない。

些事に費やす時間なんてものは、「どれくらいがいいのか」と想定したり定義するだけの工数で、既にマイナスなのだ。偏見だろうと差別だろうと、些事だと断定した時点で無視するのが、これまで僕が "distinguished" な人材として圧倒的な技術力と知識と経験で lead developer の地位を20年ほど保ってきた秘訣なのだ。有能な人間というものは、なにも正しい判断や的確な思考ができるから生産性が高いわけではなく、クズと断定したら即座に無視して二度と顧みないという無慈悲で冷酷な行動ができることに要点がある。「もしかすると判断が間違っていたかもしれない」とか、「もしかすると違う見方があるかもしれない」というのは、確かに可能性としてはありうる。しかし、有能な人間は数多くの判断を経るうちに膨大なクズを切り捨てているため、それらをいちいち疑ってしまえば一歩も動けなくなる。

・・・などと、こうしてわざわざ些事に言及して語っているだけでも、業務上の単価で計算すれば僕の人生を5万円分くらい浪費していることになる。これでは、殆ど修道士の慈善事業に近い。

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