2018年02月24日に初出の投稿

Last modified: 2018-02-24

アマゾンでブルース・シュナイアーの著作に付いているカスタマー・レビューを眺めていると、実務家としてはいつもウンザリさせられる。

たいていウンザリさせられるのは、「常識的なことを言っている」だの「わかりやすい」だの「コードが出てこないという点に特徴がある」という感想だ。こういうことを書く連中に限って、会社どころか自宅ですらセキュリティ対策をなんにもしないんだよな。こういう人たちが語る「常識的」というのは、シュナイアーの語っている内容を自分たちが生活しているスタイルに回収できるということを意味している。つまり彼の議論を、いまのままで自分たちの生き方や考え方は正しいという裏書にしてしまっているだけなんだな。だから、僕らのような情報セキュリティのマネージャなり実務家が読むと、シュナイアーが書いているような「まっとうな」読み物というのは、ごくふつうの人たちに受け入れられやすい内容や語り口であればあるほど、シュナイアーが取り組んでいる「人の問題」を解決するに当たって、実は逆に無力なんじゃないかと思えたりする。でも、もちろん数学をふんだんに使って素人を脅かすような議論をすれば、大勢が畏まって話を聞くかと言えば、ご承知のとおりその方がもっと効果がない。

そして、このような或る種のジレンマとも言うべき状況は、あらゆる学術や専門分野の啓蒙書や通俗書にも言える。たとえば哲学の「わかりやすい」本なんてものをどれほど大量に読もうと、そういう「歩く『ソフィーの世界』」のような人々が、学術どころか自分自身の人生において真に大切なことを見つけたり考えられるという根拠も実績もありはしない。せいぜい哲学史や哲学用語の薀蓄を語って老人相手のセミナー講師になるか、都内の伝手だけで「編集工学」といった死ぬほど詰まらないアカデミズム・コンプレックス丸出しの素人談義を続けるだけになってしまう。しかし、だからといって厳密で高度な素養を要求する解説だけを書いていればいいかというと、そんなものは素人には読めないし、特に科学哲学のような分野の著作は多くの哲学プロパーにすら読めない。もっとも、ヨーロッパ中央部あたりの大学に多い、プライドだけは高い不勉強なバカどもは、数学や物理や情報理論の勉強をしなくても或る種の読み方をすれば読めると思い込んでいるようだが(ちなみに「読めない」というのは、背景知識を追加する必要があるというだけであって、読めない人々を愚弄するニュアンスはないのに、どうもバカにされたと思い込む人々がいるらしい)。

同じようなことは経営学なり進化論なり任侠道なり美学なり皮革の手工業なり社会学なりアイスクリーム製造なり数学なりキャバクラ勤務なり、恐らくは全ての分野に当てはまる。そして、それゆえ啓発や啓蒙というものは非常に難しく、受け取る方の独りよがりを生じさせるか、伝える方の独りよがりを生じさせやすいのである。したがって、シュナイアーの著作を効果的に使うには、分かり易くて常識的な内容の読み物が「いまさらどうして敢えて書かれなくてはならなかったのか」を正確に解説する介在者を必要としているし、正確で包括的かつ厳密には書いてあるが分かり難い内容の概説書を効果的に使うには、そういう難しい読み物が「どうして敢えてそういう分かり難い仕方で書かれなくてはならなかったのか」を丁寧に解説する介在者を必要としているのだ。それら双方の場面の介在者が同じ職能である必要はないので、どちらかは専門のライターだったり企業の実務家だったりするのかもしれない。専門家自身がそういう介在者の役目を上手く果たせる場合もあるが、クラウスやドーキンスやピンカーといった人々にしても、僕には世評ほどには表現力や文章構成において才能があるとは思えないので、やはりメディアとしての専門的な才能ある人物を活かすことが望ましいと思う。

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