2018年01月13日に初出の投稿

Last modified: 2018-01-13

僕らは学術研究に従事している(と思っている)からこそ、書物の有用性や限界をあるていどは素人よりも正確かつ適正に理解しているはずだし、そうありたいと思っている。昨今、乱読を尊ぶ愚かで単純すぎる教養主義が多くの人々の物笑いの種になって久しく、それは自体は良いことだと言えるはずだが、それがどうして「良い」ことなのかを正しく理解しなくてはならない。

確か何年も前に、勉強してきたら本を読む量はだんだん減ってくるという趣旨のツイートを、はやしさんだったか、それとも井頭さんだったかが書いていたと思うのだが、それとは別に分量の問題ではなく「読むのが好きだ」というのはある。そして、それは誰であろうと生理的な限界というものがある。『広辞苑』をまるごと数分で読み通せると豪語するイカサマ速読セミナー講師どもでも、1日けるようにして理解できるものではない。本というのは情報量としても(その解釈がいかに多様であろうと無限ではありえないだろうし)有限として言いようのない物体なのであるから、それが記述したり議論しているものごとが宇宙の一部でしかないのも、また事実である。仮に、そういう書物の話題が全ての素粒子に当てはまる自然法則だとしても、それを語るだけで世界を(稠密どころか完備と言いうる水準で)語り尽くしたことにならないのも事実であろう。

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