2018年06月09日に初出の投稿

Last modified: 2018-06-10

先日、ネット上のまとめサイトに文章の読解力に関する記事が投稿された。「今週は暑かったのでうちの会社はサンダル出勤もOKだった」というツイッターのつぶやきに対して「何故今週だけはOKなんだ?」「サンダル無い人は来るなって?」「暑いならともかく基本はNGだろ」といった反応が一定数返ってくるという内容だ。

こうした反応を返してくる人は、「サンダル出勤がOK」というキーワードだけが目に入っていた可能性が高く、前後の文脈は考慮していなかったと考えられる。

日本の生産性を引き下げている「文章を読めない人」

「今週は暑かったのでうちの会社はサンダル出勤もOKだった」。これに「何故今週だけはOKなんだ?」と応じても、このツイートは「今週だけ」などと言っているわけではない。

「今週は暑かったのでうちの会社はサンダル出勤もOKだった」。これに「サンダル無い人は来るなって?」と応じても、このツイートは「サンダルだけで出勤しろ」などと言っているわけではない。

「今週は暑かったのでうちの会社はサンダル出勤もOKだった」。これに「暑いならともかく基本はNGだろ」と応じても、このツイートは「今週は暑かったので」と書いているのだからNGである筈はなかろう。

したがって、上記の反応が全て的外れであることは分かる。要するにクソリプの類なのだろう。しかし、果たしてこれまでの現代文の教育なり受験の小論文を教える予備校なり、文章についてあれこれと指南してきた人々が、そういう文脈なり脈絡を正確に読み取ることを重視してきたかと言えば、そうではなかった筈だと思う。これまでの教育が生徒に教えてきたのは、長文の中でポイントになる特徴を見つけたら、前後の文脈などおかまいなしにしかじかの部分的な特徴を発見できたら回答は導き出せるというテクニックの山であり、簡単に言えば文脈を掴むなどという非効率を可能な限り無視するような手法である。それを満足にマスターできなければ、このように「効率」だけが残ってしまい、文章の一部だけで全体の「著者の意図」を断定しては花マルをもらってきた子供がクソリプの応酬を始めてしまうのは仕方の無いことだと思う。

つまり、僕が思うには、クソリプは Twitter のように公衆の所作として誰にでも見えるようになったから目立つだけのことであり、もともと文脈を理解しないままやりとりする人は国語教育や受験の歪みと同時に一定の割合でいたのであって、クソリプとして表に出てくるような人々、つまりこの記事が言う「文章を読めない人」の割合など増えも減りもしていないと思う。冒頭で記事が述べているように、「ネット社会の到来で一気に可視化された可能性が高い」ということだろう。

これに対する処方は幾つか考えられるが、記事の著者が書いているように、アメリカでは行政文書を平易に記述することを Plain English として規格化しており、これを日本でも参考にできるだろう。これは何もアメリカで殆ど英語が読めない移民が多いからという歴史的な事情だけではなく、そもそも経済格差によって学術用語や専門用語など知らず、その調べ方すら分からないという人が多いからでもある。移民の国でない日本においても(これから移民が増えてくるかもしれないという事情を抜きにしても)教育格差がある以上は、無視できないことだろう。

そして、僕が強く言いたいのは、新聞記者や雑誌のライターあるいは大学教員や、かような「メディア」でものを書いている人々を含めて、果たして他人にものを書いて金銭を受け取るべき資格があるのかということを、もっと広範囲に客観的な基準を設けて、テレビや新聞各社の圧力なり政治的な駆け引きなりも影響するとは思うが、厳格かつまじめに検証しなおしてはどうかと思う。僕には、アナウンサーの何人がまともに文章を読み、伝えるスキルを満足にもっているのか疑わしいし、新聞社の編集校閲係の何割が、文字数なり「キャッチーさ」という、形式的な制約にすぎないか、あるいは下らない理由だけで文脈を無視するようなヘッドラインを捻り出してきたのかと、改めて猛省を促したい。

[連れ合いの指摘で文意を修正した。最後に彼女への謝意として追記する。]

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