2019年01月28日に初出の投稿

Last modified: 2019-01-29

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さきほど Twitter でトレンドにまでなっていたからご存知の方もおられると思うが、大阪の「天牛堺書店」さんが破産したようだ。今日は帰宅するときに、恐らく雨が降るかもしれないという予感があったからか、何の自覚もなかったが船場センタービルの方へ足を向けていた。3号館のあたりで19時を回ったくらいなので、いつもなら天牛堺さんは店頭の品物を少しずつ片付け始めるものの、まだ少しは眺めていられるくらいのタイミングなので、岩波文庫の『法然上人絵伝』でもないものかと立ち寄ることにした。3号館を西側の出入り口から入ると、いつも天牛堺さんだけが店を開いている。船場センタービルの店は小売をしていない卸店が多いため、地下の飲食店を除けば閉まるのが早いからだ。しかし、今日は3号館に入ると、東の端にある天牛堺さんのシャッターが既に閉まっているのが見えた。「え、19時を少し過ぎたばかりなのに、もう商品を全て片付けたのか」と驚いた。だいたい、店頭の品物を片付けた後でも、店員さんが色々な作業や後片付けをして20時頃でもシャッターくらいは開いているという覚えがあったので、強い違和感を覚えた。そして、店舗に近づいていくと、シャッターに大きな貼り紙がある。「もしかして移転でもしたのか」と思った。そして、急いで店舗の前まで来て貼り紙を眺めると・・・まぁ学部は法学部を出ているので、「破産者」まで読まなくても「告示」の二文字だけで分かった。

帰宅すると、Twitter でトレンドになっているという。僕が船場センタービルの店舗にいたときも、貼り紙を見て驚いている人が他にもいた。昔話を書いているアカウントはどうでもいいが(どのみち、そういう「いっちょかみ」たちは、いまはアマゾンで買っているのだろう)、ふだんから利用している人々の反応を見ると、どうやら僕が何日も前から知らなかったことではなく、僕が貼り紙を見た今日の時点で全ての店舗を閉鎖したとのことらしい。

これで、帰宅する途中で気楽に立ち寄る古本屋が一つもなくなった。というか、恐らく中央大通よりも北の船場地区からは古本屋が全て消滅したのではないか(靭公園のあたりに洋書の古本屋はあるが、あそこは船場とは言わない。あと喫茶店を兼ねている店が東横堀川沿いにあったはずだが、あれを古本屋とは言わない)。明治時代は色々な私塾があり、立川文庫が流行した時代には、いまの心斎橋筋は出版社や書店が立ち並んでいたというし、船場地区はそれなりに学問や出版といった知識なり知恵の集積する場所だったわけだが、時代とともに場所の特性も用途も変わってゆき、いまでは成金や華族の建物(建築資材に金をふんだんにかけたのだから残るに決まってる)を建築学者が弄ぶイベント会場と化している感がある。

かといって商業としての力もなくなり、大半の企業は名目の「本社」を置くだけで実質的には他の場所(東京、あるいは大阪でも新大阪周辺やグランフロントなど)へ移ってしまっている。いまや船場地区は文化においても経済においても衰退の一途をたどっていて、たとえ御堂筋を歩道にしようが、そんなものは政治的なパフォーマンスにすぎまい。あそこは、わざわざ予定地区の建物を取り壊してまで作った大阪の中心道路だったはずで(北御堂の正面の階段があんなアホみたいに急勾配なのは、前方の土地を御堂筋開通のために手放したからだ)、「知るも知らぬも大阪の関」と呼ばれた関市長(先代の方)と彼の前の市長であった池上市長が悲願として作った道路であった。あそこを歩道や公園にしたところで、企業など集まってくるわけがなく、せいぜい安普請のタワーマンションが立ち並んで中国の成金が投機目的で部屋を買い漁るくらいしか役に立つまい。

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