2018年05月03日に初出の投稿

Last modified: 2018-05-03

昨日、連れ合いと話していたのだが、感情に任せて思うことを書いたり喋るのは(それに心理的な抵抗や牽制がなければ)誰にでもできることであり、それこそ哲学どころか教養や知性すら必要ない。カミキリムシが右足を前に出すのと全く同じような「反応」でしかない。もちろん、人間の共同体が、それだけで議論とかコミュニケーションが成立するのであれば、そう間もないうちに人間の共同体は AI どうしのネットワークに凌駕されてしまうだろう。

AI どうしの共同体なら、相手が無知無教養でも簡単にデータを共有できる(それが「事実」だという保証はないが)し、AI がおかしな設計をされていない限りは、データを共有させた方が「偉い」とか、データを共有させてもらった悔しさとか、その手の下らない優越感やルサンチマンもない。もちろん初期条件や、駆動している環境によって、個々のインスタンスが同じ前提から異なる結論を導き出す可能性はあるし、そういう可能性がないなら複数の AI を運用する意味など(バックアップの他に)何もない。よって、AI の共同体にも意見の調整だとか対立は起きる。

しかし、カミキリムシ同然の、ネトウヨとか左翼とか(あるいは、ノベール賞を受けた物理学の権威だろうと Google の SEO だろうと、有限の能力しかないという意味では、誰であれカミキリムシと何が違うのかという気もするが)は、つまるところ何が正しく、何が事実であるかということには殆ど興味がなく、「正しいところのアタシ」や「事実を知っているボクチャン」を、どうして奴らは理解し、付き従ってはくれないのかというヘゲモニーのことしか考えていない。(アニメのようなカウンターカルチャーに限らず、数学、それどころか社会福祉のような分野にいたるまでの)熱狂的なボランティア活動家やオタクの、それなりに目立つ割合の人々が意識高い系のリベラルやネトウヨ・・・に形容詞は不要だろう。存在自体が愚鈍で下劣だからだ・・・に走りやすいのは、結局のところ動機が似ているからなのだ。

結局、僕がしばしば話題にしている「自意識(プレイ)」のことしか考えていないような人々というものは、それ自体は不幸で気の毒な人たちではあるが、だからといって善意の解釈を施すだけで無害化できるかと言えば、そう簡単ではなかろう。(ちなみに、こう書いていても、別に優越感などない。もちろん僕が最初から優越した存在だからではなく、そういう感情は無意味だからだ。何の生産性もないし、人類の存続や僕自身の健康や業績に何の貢献もしないからである。他人になど優越したところで、哲学的に言って真理へ「一歩だけ」近づいたなどという観念を抱くのは、足し算引き算が得意なだけの、それこそ近いうちに TensorFlow があれば不要になるようなレベルの人間だ。)

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