2019年09月18日に初出の投稿

Last modified: 2019-09-20

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同和問題は何故か関西に多い。

したがって詳しい内容を書ける著者になると関西出身の方にならざるおえない。するとどうなるか。「同和差別があること」を前提にしか話が進まない。私なんぞ東京生まれの東京育ちなので同和問題を教育で教わった記憶が全く無い。せいぜい「差別は良くないことだから止めよう。人も傷つくし言った本人も傷つく」という趣旨の授業を受けたぐらいでしょうか。私もそういう逆差別を受けた経験も無いし、差別をしようという気すら起こりません。しかるに関西地区の方以外の方がこの本を買わない保証は無い訳です。私が読みたかったのは「あることを前提の教育でよいのか?」とか「広島の校長自殺事件に同和問題関係団体の責任は無いのか?」とか「同和団体に金を毟り取られる永遠に終わらない構図で良いのか?」とか議題というか執筆テーマにあげて欲しかった。

これじゃあただの「同和差別があることをを肯定した上での」という分を署名の前につけざるおえない内容です。カミングアウトとかもう馬鹿かと(略)あることを前提に教えてる限り、同和地区を指定している限り、そしてその地区の住民が同和政策受け続けている限りこの差別は永遠無くならないと私は思ってます。

社会学の初歩を学部で勉強した人であれば、この手の、冷静な態度を装った単なる無知に基づくコメントが差別を助長するということは、ほぼ常識に属するだろう。私は知らない、私は教わっていないという単なる個人的な事情から、東京に部落はない、関東人は差別しない、よって同和対策は税金の無駄遣いであり、逆差別であり、特権であり、差別があるとしても関西人だけの問題である・・・どこかで見聞きした論法だよね。弾左衛門すら知らないで部落差別を語るとは、どの面を下げて東京人ヅラしているのやら。

まず明白な事実を注釈として書いておくと、東京にいる、特に地方出身者が部落や部落差別を知らないのは、単に地方出身者だからという事情だけではなく、東京都が同和地区を行政として指定してこなかったからだ。更に、指定されていなくても差別の対象となっている集落や地区もある。そういうことは表立っては語られないため、現在では90%以上を占める自称東京人が東京の差別の実態を知らないのは無理もないことだ。しかし、僕がいま書いているようなことは、実は少しでも本当のところはどうなのかと関心をもって調べれば、馬鹿の一つ覚えみたいに読書しか能がないような人間はともかく、すぐに誰でも分かることなのである。なお、もちろん東京だけではなく関東圏や東北にも部落差別はある。

ということで、2005年以降はレビューを投稿していない、言わば書き逃げのようなことをしている人物が、レビューの数だけで「殿堂入り」などという評価をアマゾンから受けている。こういう、合理的な根拠もなく何らかの評価を受けたかのようなコメントの体裁を取り繕えてしまうのも、結局は差別につながる仕組みの一つなのだ。差別は色々な場面で、誰にでも起こりうる。それこそ皇族も或る意味で差別されているし、世界一の金持ちであろうと色々な理由で差別される。差別は、不当ではあっても人や社会にとって必要な何かの間違った応用だったり暴走であるにすぎず、基本的な与件は決してなくならないものだと考える方が現実的だし、たとえば間違ったリスク対策や帰責推論(僕が専門にしている因果関係にかかわる推論や説明)として、場合によっては差別の原因になりうる思考の社会科学的もしくな認知科学的な根拠すら見つかる可能性があると仮定しておく方がよい。

ということで、「同和問題を教育で教わった記憶が全く無い」と書いていながら、他方では「同和団体に金を毟り取られる永遠に終わらない構図で良いのか?」などと、ネトウヨがよく書いてるような陰謀論の類ならよーくご存じの人物に、こういう問題を語る資格などないのである。

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