2018年12月31日に初出の投稿

Last modified: 2018-12-31

2018年10月05日に初出の投稿

ただいま NHK では『半分、青い。』という朝ドラの総集編を放映している。今年の前半に放映されたドラマだが、時代設定が現在と近いせいか、僕自身の感じた事件や出来事に対する印象と食い違うことが幾つかあったり、主人公の現代での考え方や行動として違和感を覚えることもあった。同じく朝ドラで現代の登場人物を出した『純と愛』ほどではないが(だって、あれは超能力とか出してくるし)、この『半分、青い。』にも色々な感想を持った。Twitter でも脚本家の北川という人物に批判が多かったそうだが、脚本家のツイートに文句を言うのはどうかと思う。それなら、フォローしなければいいだけだからだ(しかしドラマを観ている人間に「観なければいいだけ」と告げるのは最後通牒でしかない)。

上記のリンク先で述べたことだが、このドラマは僕とほぼ同じ世代の人物を登場させて、色々とあったけれど僕らは何も解決してこなかったと分析している。それは確かにそうなのだが、僕は少なくともおかしいと思っていたことは言っていたし、機会があれば投票行動にも反映してきたつもりだ。しかし、金融政策なんて、どれもこれも個人でどうにかできることではないし、アメリカの失策や巨大地震に至っては日本国民全てが何をしようとどうにかなるものではないのだ。そういうことも起きた50年だったのである。

それはそうと、このリンク先で書いた文章は、ちょうど母親が亡くなる前日に書いた記事だった。生まれてから現在までを思い返していたのだが、数十年前に早く生まれて生きていた親は、この50年をどう経験してきていたのだろう。そのあいだに何か遣り残してきたことがあったろうか。

主人公の性格設定なりセリフ回しについては、個人の人生という尺度の中では何か他にできたとか言えたと考えていいだろうとは思う。特に、僕はこのドラマのヒロインや相手のセリフ回しとかストーリー展開に見られる芝居がかった印象が、どうも少女漫画のセリフや構成と同じ印象に思えるのだ。そして、『半分、青い。』について論評していた何人かの人物が指摘しているように、このドラマの主人公だけではなく、主人公の心理モデルともいえる少女漫画の登場人物についても、何かを軽く扱ったり経緯を吹っ飛ばして描いているというよりも、寧ろ何かの障害の兆候を正確に描いているからああなったのではないかとも思えるのである。

例えば、『半分、青い。』の批評の一つとして、以下の記事がある。

・『半分、青い。』は批判的”怪”作(諌山裕):https://isayama.info/archives/6877

そして、ドラマが終わった後の評価では更に酷評の記事が書かれている。僕はそこまで酷いドラマだったとは思わないが、確かに映画監督として自立してゆく涼次という元夫にも発達障害の傾向が見て取れるらしく、だいたいこのドラマを酷評する人たちは主人公たちに発達障害の傾向を見て取り、周囲の家族や親類が、振り回されながらも怒らず丁寧に接してゆく人々として描かれているのをイライラしながら観ていたらしい。

もちろん、僕も違和感を感じたりはするのだが、イライラすることは殆どなく、驚かされるだけだ。実際のところ、僕自身にも恐らく似たような兆候があるだろうと思うからだ。そうでもなければ、デザイナーやコーダやプログラマやディレクターやマーケティング担当者や広告代理店関係者、いやそれどころか企業経営者に対して、ひとくくりに「無能」などと言えるわけがない。まぁ、大半の人間は実際にバカだから正確に指摘しているだけなのだが。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook