2018年07月17日に初出の投稿

Last modified: 2018-07-17

本書は,「幼少期のお子さんに関するもの」「これから妊娠・出産する方々に関するもの」ということをこの場を借りて注意・強調しておきたい。

※ このこと知らずに,「8歳以降の少年や成人でも・・・」という思いで本書を購入した方にはお詫びしたい。申し訳ありません。

【16/04/09】発達障害本のミス(注意点)

昨日は連休の最終日ということで、普段はアプローチしない文庫本の通俗書の本棚から何冊かの本を取り出して読んでいた。何かのきっかけで僕も通俗書を買って読むことがある。普段は「通俗書」と言ってバカにしているし、もちろんその多くがクズであることに変わりはないのだが、気休めや暇つぶしになるものが多いのは確かだし、愚かなことが書かれてあるのが明白なら逆に僕自身の考え方を整理する役に立つ場合があるという皮肉な効用すらある。それで、実際に役に立つものはあった。たとえば、あの『スタンフォードの自分を変える教室』というマクゴニカルの本は、あれをざっと読んでから直ちに実行に移して、何の苦も無く禁煙できた。それこそ翌日から全くタバコを吸わなくても何も気にならないようになったのだ。(つまり、惰性でやっていることについて、脳は現状を維持するための理屈を考え出したり、反論に綻びを見つけ出そうとする。したがって、惰性でやっていることをやめる秘訣は・・・単に止めることなのだ。止めることに大義名分や理由を付けようとするから自分の頭の中で論争が始まってしまい、そしてそういう論争では現状を維持する方が常に優勢なのだ。それを覆すためには、頭の中身をリセットするのではなく、状況をリセットするのが正しい。これは勉強にも言えることで、勉強するための理由などいくら考えたところで嫌なものを始めたり続ける原動力にはならない。勉強を始めたり続けたり、あるいは仕事に慣れるには、理屈など関係なしに、それこそ機械的に英文を読んだり線形代数の演習問題を解いたり作業を黙々と「やってしまうだけ」なのだ。これから始めるぞ、などという自覚すら不要である。しかし、これがしばしば精神論のしごきを正当化する理屈になってしまうから、やはり何らかの見識を弁えたうえでなければ危険だ。)

余談はともかく、そういう通俗本の中に栗本慎一郎さんが主宰していた「自由大学」という私塾の講演会を編集した本(『脳がわかれば世の中がわかる―すべては、ここに始まる』、知恵の森文庫、2004)があった。ここに、上記のブログを運営する澤口俊之という人物の講演が含まれていて、当時ですら陳腐化していた脳のモジュール・モデルの亜流みたいなものを解説していた(現在は、いわゆるネットワークモデルとも言うべき、局所的な機能だけに還元するのでもなく、かといってお手軽な「環境(脈絡)主義」に堕するのでもない、脳のはたらきを厳密に測定できるようになった段階での学説が主流と言ってよい。この「はたらき」をただの神経細胞の機能として理解すると議論が退行してしまうので注意したいところだ)。そして、質疑応答では脳と死について興味深い論説を期待できそうなことを話していたようなのだが・・・結局は大学も辞してしまい、研究よりも物書きとして手軽なお話を吐き出し続ける文化芸人になってしまったらしい。もちろん、かつては栗本さんも「学者は絶対にメジャーにならなくてはいけない。そうでないと正しい議論や学説を出版して多くの人に知ってもらえない」と豪語していたのだが、それは正しい議論や学説という大前提があればの話だ。それに、「メジャーになる」というのは研究内容を出版しやすい権威をもつということであって、通俗書を乱造する有名な物書きになるという意味ではなかろう。日本の、大学教員だろうとハーヴァードを出たジャーナリストだろうと、そうした経歴をもつ物書きの大多数は、要するに学術の最前線を進む才能はないが、学説を面白おかしく説明できるというだけで物書きになったという人々が大半を占めており、それが正確な説明なのかとか、あなたの解釈にすぎないのではないかとか、そういったメディアリテラシーを自身に当てはめて吟味できるプロのサイエンスライターとしての素養をもつ人は非常に少ない。しかるに、僕はそういう「バカが勉強しなくても何かについて一端の意見を言えるかのような下駄を履かせる」人々を文化芸人と呼ぶのだ。そして、どうやらこの澤口さんもそういう文化芸人の一人になってしまったように見受ける。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook