2018年10月24日に初出の投稿

Last modified: 2018-10-24

僕はここで何度か書いているように、有能な人物は国籍や性別や出自に関係なく、高齢者であれ小学生であれ、優れていると適正に評価できた成果には称賛を惜しむべきではないし、それを達成した当人はそれなりの報酬や尊敬を得てもいいと思う。したがって、都内でごちゃごちゃとやっているベンチャーの人たちにも無用な予断は抱かないようにしたいし、現に個々の成果については落合陽一さんをはじめとする人々に敬意を表したい。特に、彼のデジタル・デバイスを使ってアナログな視聴覚をサポートしたりヴァーチャルに構築するというアプローチは、既に他の研究者も幾つかの著作で指摘していることだが、人の認知能力の再現や強化という観点からだけではなく、そのあからさまな限界という点でも認識論の研究に寄与する知見が期待できる。

しかし、これも何度か述べているように、どれほどの大義名分があろうと科学者や技術者や起業家は社会の一員でもある。どれほどの知的インパクトや社会的な影響力のある技術や機器やサービスを開発するためであろうと、PEZY Computing のような詐欺が正当化されるわけではない。簡単に言ってしまえば、この連中が一人残らずこの宇宙に存在しなかったら何らかのテクノロジーの開発が100年ほど遅れる可能性があるとしても、それでも法律の方が優先する。それが国家というものなのである。そして、国家のサポート(たとえば、彼らが自分のコンピュータでクソみたいなコードを打ち込んでいるあいだに、研究所へ暴徒が押し入って金目のものを奪っていかないような国家であるという一事を取るだけでも、彼らは非常に大きな力で守られて生きているのだ)なしに自分たちが何事かを成し遂げられるかのような、何周遅れかのセカイ系を口にしたところで、もう誰もそんなことは信用しない。

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