2018年12月05日に初出の投稿

Last modified: 2018-12-05

2009年の12月からヘテムルを使っているので(というか、それまでもチカッパなどを使っていたので、ペーパーボーイとは既に10年を越える付き合いだ)、来年の末で丸十年となる。ヘテムルが始まった頃は、確か Adobe のキャンペーンサイトをホストしていたりしていたものだが、昨今ではそういうこともなくなった。そもそも、独自ドメインを取得したり、自分のウェブサイトをレンタルサーバで構築して運営するという人が減ってきて、大きなキャンペーンをしても反響はないとの予想ができているからだろう。

それもそのはずで、独自ドメインやレンタルサーバやブログや SNS などを提供してきた業界のプロパガンダは、そろそろ効力がなくなっているからだ。つまり、たいていの人には公に発信するべき価値のある情報など、もともとないのだ。

確かに、誰でも意見は言える。そういう意見に価値があるという理屈は、社会学者でなくても誰でも分かる。それに、それぞれの人たちの暮らしぶりや趣味といった事実にも一定の価値はあろう。大きな野望でも持たない限りは、こうすれば手早く料理できるといった情報は、同じ程度にスケールの小さな他人の要求には応えられる。そういう価値を、僕は否定してはいない。しかし、それらの情報はあくまでも統計的に処理されるデータとしての価値や、個々人の必要とするローカルなスケールでの価値でしかなく、個々人が書いているブログ記事や Twitter のつぶやきをしらみつぶしに読んだところで世の中が分かるわけでもなければ「良い」世の中がなんであるかを考えられるわけでもない。もちろん、だからといって、逆に有名ブロガーや大学教員の書いているものだけに価値があるのかと言えば、その大半も二束三文でしかない。

しかし、「大半」とか「たいてい」と書いているように、ブログ記事を書いていたり大学で教えていたりする人々の中に有益な成果を上げている人は、確かにいるのだ。それを、大学教授とかブロガーとか IT ジャーナリスト(笑)などという雑な括り方では言い当てられないだけの話であり、要するに内容に照らして是々非々の判断をするしかないという、いたって妥当な基準が残るだけである。

しかるに、独自ドメインを取得してオリジナルのメールアドレスを使うようになったくらいで「アイデンティティ」が確立する人間などいないし(精神病理学的には、そういう症例があってもいいとは思うが、どのみち例外だ)、自前のウェブサイトを運用しているからといって何か特別に価値のある内容が書けるわけでもなければ、そういう価値をもっている証拠にはならない。もちろん、当サイトも例外ではない。僕が公開している記事の多くは一読するだけの価値があると自負してはいるが、しかしそれもまた単なる思い込みの可能性はある。とは言え、都内のクソベンチャーで炎上を担当している田端とかいう外部取締役のような小僧とは違って、アクセス数のような数字だけが指標だとは思っていない。単にどれだけ多くの人がページにアクセスしようと、それだけでは何も語れないのは、通俗的な哲学書による安易な啓蒙など、いかなる社会科学的な脈絡においても「成功」と評価できる事象が生じたためしがないという歴史的な事実がはっきりと我々に教えているではないか。

しかるに、あるていどは自分の書いたものに何ほどかの価値があろうと信じて公開する他はないのだが、もちろん公開したというだけで無条件に何らかの価値があるとか、誰かに読んでもらえる保証などない。それゆえ、いちど公開した文章でも可能な限り訂正し続けているし、文章を拡充してもいる。そして、そういうことを誠実かつ丁寧に続ける努力をしない限りは、われわれ凡庸な人間が書き表すものに価値など生まれないだろう。メモ書きていどのテキストにも「人類史の中に現れる一片のデータ」として形式的な価値があることは否定しないが、そんな屁理屈(あるいは一種のシニカルな無頓着さ)で正当化してもらってうれしいのかと思う。僕は、意図しない市井の人々の平凡な事実については価値を認めるものの、何かを書くだけで人には価値があるなどという自意識過剰なセンチメンタリズムにはうんざりする。つまり、自前のウェブサイトを運営するていどのことやブログ記事を書いたていどのことで、勝手にものごとを評価する価値のハードルを自分で(あるいは特定業界の宣伝に乗っかって)下げるなということだ。

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