2018年07月14日に初出の投稿

Last modified: 2018-07-15

呉智英さんは他の人たちが紹介している読み物を通しても個人として面白い人物だし、もともと『やちまた』(足立巻一)を知ったのも呉さんの『読書家の新技術』という本がきっかけだったから、それなりに「知恩」と言うべきものがある。ただ、残念ながら「学恩」は感じていない。その理由の一つは、もちろん彼の封建主義には首肯しかねる点があるからだ。

たとえば、そろそろ僕自身の論説としてまとめておいた方がいいと思っているのだが、僕は日ごろから「凡人」とか「凡庸」という概念で、自分自身も含めた大半の人の事跡を意味している。どうしてこれが主観的な印象や評価を含まない概念なのかと言うと、僕はヒトという個体ないし生体の能力としての有限性をもって「凡庸」と評しているからだ。無限の能力をもつ人などいないし、文学として言い表したとしても失笑を禁じえないほど軽々しい。ニュートンだろうと(仮にいたとして)イエスだろうと年商何千億円の IT 企業経営者だろうと、しょせんは死ぬし、100 m を2秒以内に走ることなどできない。

したがって、僕はこのような概念を大多数の人々を侮蔑するために使っているわけではない。「ゲーデルやニュートンもヒトとして『凡庸』である」という言明は、「ヒトの中で凡庸」だと言っているわけではなく、つまるところ「ヒトとして凡庸」という形容の仕方は殆ど同誤反復なのだ。しかし、この表現は自然科学の範囲では全く何の問題もないと思うが、一部の人たちには顰蹙を買うようだ。つまり、このような表現を使っている主体の僕が、こういう概念の該当範囲から外れて全ての人や社会を神のように眺めて論じたり評しているという被害妄想に陥り易い人が、一定の割合でいるらしいのだ(もちろん無教養な連中に多いのは分かるが、なぜか自然科学者の一部にも、こういう表現に反感を覚えるバカがいるらしい)。

恐らくは、こういう表現と「衆愚」のような侮蔑語とを混同しているのだろう。思えば、「衆愚」というキーワードで特定の組織や集団を鳥瞰もしくは俯瞰した、意欲的と言ってもいいが実際は中二病としか言いようがない、何の見識もない物書きや二流学者のマウンティングみたいな本が日本では数多く出版され、自分には該当しないと思い込んでいる人々が、新幹線での暇潰しに駅で買ったりするのだ。そして、このほど呉さんも「愚民」とか「バカ」という表現に加えて「衆愚」という言葉を持ち出して更にもう一冊の通俗書を出すらしい。

それゆえ、僕は呉さんの思想には賛同しないのである。まず、通俗書など何億冊書こうとも有益な成果は引き出せない。第一に、そんなものを読んだくらいで何かがどうにかなると思っているような人間に、世界は全く何も変えられないからだ。第二に、世の中を(良くか悪くかはともかく)変えられる者が通俗書を読むことは端的に言って時間の浪費であり、世の中を変えられたはずのチャンスを逸したり、遅らせる結果にしかならないからだ。つまり、無能な大多数が読もうと、(願わくは世の中を良くできる)有能な一部の人々が読もうと、どちらにしても無意味なのである。

そして、世の中を変えるために大切なことは、一部の優れた人間だけがやれば済む施策とか、あるいは全ての人が優れた施策を支持するための情報提供や教育なのではない。そうではなく、この世の中は有限な才能の凡人しかない(つまり良い人も完全に良い判断や行動は為しえず、悪い人も完璧に悪い判断や行動を為しえるものではない)というリアリティのもとで、どのていどの政策でどのていどの見込みで人々がものを知り、考え、感じ、評価して判断し、行動するかという蓋然性を採用したモデルを、その凡庸な人々どうしがつき合わせることなのである。これは、実は「民主制」だの「熟議」などというヌルい仲良しごっこの社会モデルではない。誰かが誰かよりもアプリオリに優れていると言いうる思想的な原則が全く存在しないところから、恐らく思想としては何も向上しない可能性があるという厳しさをメンバーが受け入れなくてはいけない、かなり厳しいモデルだ。何かをした結果として世の中が改善するかのごとき、何の保証も無い絵空事を振り回す物書きたちの通俗書とはわけがちがう。

それゆえ、僕は先人の業績を尊重する態度をもつべき点で多くの人々に同意できるのだが、しょせんは凡人のやったことにすぎないという冷静な観点を維持するべきだという点では、どんな古典研究者も信用しない。プラトンだろうとウィトゲンシュタインだろうと、あるいは連日のようにテレビやネットメディアの記事で見かける、僕と比べてすら二束三文としか言いようが無い「お茶の間哲学者」どもならなおさら、一部は生涯をかけても学ぶべきことを書いているが、それ以外については無能で凡庸だと断定するべきなのである。

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