2018年03月01日に初出の投稿

Last modified: 2018-03-01

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生の技法 [第3版]

「『家』や『施設』を出て『地域』で暮らす重度全身性障害者の『自立生活』。その生のありよう、制度や施策との関係、『介助』の見取り図などを描きだして、運動と理論形成に大きな影響を与え続けてきた記念碑的著作。旧版(増補改訂版)から17年を経て、あらたに2つの章『多様で複雑でもあるが基本は単純であること』、『共助・対・障害者――前世紀末からの約一五年』を加えた待望の第3版が文庫版で刊行!! 解説=大野更紗」

僕も頓着なしに強調したい語句を引用符で囲むことがあるのだけれど、なるほど連れ合いに指摘されてみれば、誰かの言った言葉の引用でもないのに引用符で囲むのは読み手に混乱を与える恐れがある。それに、こうして引用するときに一重の引用符は二重に変換しなくてはいけないという編集上のルールを押し進めると、これはこれで単純に面倒臭い。自分の書く文章くらいは、括弧の使い方を少し変えなくてはいけないと思っている。

ともかく、天満橋のジュンク堂で何度か見かけては買おうと思っていた本を買ってきた。この手の、研究者も少ないし、アイドルが「わたし、○○読んでます」的なパフォーマンスをやってくれそうにもない分野だし、若手の研究者がくっさい耽美系のファッションをして Twitter で適当なことを書いてるはずもなく、はたまた身障者の研究をしているというだけでバカが左翼扱いする気の毒なジャンルなわけだが、やはりこういうジャンルこそ古典的な業績の一つや二つは門外漢でも読んでおくのが、社会人としての見識というものだろう。

オンライン・リソースの「アクセシビリティ」という概念を学んだ頃から、ユニバーサル・デザインという概念の内容とも照らし合わせているあいだに、僕は社会的な「弱者」に限らず色々な特徴をもつ人たちの境遇なり個性なり病気なりにも適用できる、制度とか器具とかサービスというものを考えていくきっかけを数多く得た。身障者について考えることは、高齢者について考えることや、妊婦について考えることや、ホモセクシャルについて考えることや、在日外国人について考えることや、被差別部落について考えることや、日本人などと呼ばれる人々について考えることでもあり、つまるところそうした人々も含めて凡庸なるヒトという生き物でしかない我々自身を、一人の例外もなく視野に入れて考えることでもある。何か一つの境遇や身分や特徴だけが、何か本質的に他の個体や集団よりも優れているとか劣っているなどということはない。そして、我々がそもそも有限なる生物の個体に過ぎないという<圧倒的な無能>を前提にする限り、たかだかハーヴァードを首席で卒業したの、ノベール賞を授かったの、内閣総理大臣だの、上場企業の社長だの、ヤクザの親分だのといった救い難い些事にかじりつくような人々の悲哀こそ、少なくとも哲学者を名乗る人間なら十分に理解しなくてはならないはずである。

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