2018年12月23日に初出の投稿

Last modified: 2018-12-24

第1集は、15のオリンピック施設が集中するベイエリアを取り上げる。バレーボール会場となる「有明アリーナ」と水泳会場となる「アクアティクスセンター」は、いずれも災害対策と省エネを極限まで追求した巨大建築。前代未聞の建物だけに、工法も世界でも画期的なもの、工事は難航を極める。ふたつの究極のエコスタジアムの巨大天井取り付けの一大スペクタクルを軸に、未来都市への実験満載のベイエリアの大変貌を描く。

『NHKスペシャル | 東京リボーン 第1集 ベイエリア 未来都市への挑戦』

上記は、先ほど観た番組の紹介文なのだが、この説明文には書かれていない箇所で強い違和感を覚えた。その箇所では、ベイエリアで進むタワーマンションの建造ラッシュと、50年前に造成された辰巳団地の現状とを並べて、双方に住む人々の感想を聞いていた。団地の住人は、今度の東京オリンピックなんて団地の住民は喜んでおらず、寧ろ自分たちの住環境が悪化する心配しかしていないと言う。かたやタワーマンションの住人は、東京オリンピックが楽しみだと口々に言う。そして両者に共通しているのは、50年前に団地入居の抽選に当たったことや、オリンピック会場の近くに住めることが、どちらも「宝くじに当たるよりも嬉しい」という点だ。

これら両者の感想を引き合いに出して、どちらも空しいと論評することも可能だろう。ゴミの山に立っている団地に50年も住んで嬉しいのかという意味と、あぶく銭でタワマンの高層階に住むていどの暮らしがそんなに大切かという意味だ。しかし、僕はそんなことを指摘するつもりはない。そんな論点はオリンピック会場の周辺の人々だけにかかわる浅薄さではないからである。

僕が指摘したいのは、それとは別の点である。公共放送であるという建前から、NHK の番組では公共事業や都市計画といった、様々な利害関係が絡む事案を取り上げるときに、よく複数の立場や賛否両論という視点を設定する。この番組でも、かたやベイエリアに住み始めて50年が経つ人々の暮らしは、周囲に立ち並ぶようになった高層建築物によって、昔は自宅から見えた花火大会の様子が分からなくなっていると描写される。「住環境の悪化」というやつだ。こういう描写の仕方をされると、僕は、彼らが昔からドキュメンタリー番組で使いまわしてきた「光と影」というパターンが繰り返されていると感じてしまう。

そして、僕がこういう演出を或る意味で悪質だと思っているのは、既に行政として決定事項となっていることを今になって穿り返し、「しかし一部の人々にはこういう迷惑がかかっている」とか「景気良く開発が進む一方で、近隣住民の暮らしはどうのこうの」と、いまさらどうしようもない単なる不平不満を残された住民に言わせることだ。近くで見られた花火が見られなくなったなんてことは、正直言ってたいした問題ではない。そんなことで自分の生活がどうにかなる(あるいはどうにかなってしまった)と思っているなら、それはセンチメンタリズムというものである。周辺で進む開発に取り残された昔ながらの「かわいそうな」住人たちという、テレビドラマで何百回と繰り返された情景を自分たちで追体験しているだけのことだ。見えなくなったら、近くまで散歩にでも行けばいい。僕も元住人だから分かるが、しょせん東京の暮らしなんて、そのていどで事が終わり解決するものだ。

そして更に、既に行政として実行することが決まっていて造成も始まっていることに、感情的な演出で「他の立場」を追加することが物事の公平な描き方だとでも思っているらしいということも、僕には悪質な演出に思える。なぜなら、そう描かれた立場を(既に負けたのだから)過小評価する効果になってしまうと思うからだ。そして、そういう脚色のセンスも、違う意味合いで言うセンチメンタリズムになってしまうのである。議論や政策過程を経た後で、そこで意思決定する人々に何らかの影響を与えることはせずに、全てが決まってから「それでも他の意見がある、それなのに造成は進んでゆくことの悲しさよ」などと、既に何年も前から知っていたくせに取材で初めて分かったかのようなフリをする。

公団の住民たちの抱いている不安というのは、恐らくは花火なんてしょーもないことは一部でしかないはずだ。大勢の工事関係者や大会関係者や観光客が行き交うようになる。商業施設もできて、どこから来たのかも分からないが大騒ぎする連中が増えてくる。トラックやバスなどの大型車両が行き交うようになる。たった二週間ていどの行事のためにだ。そして? 観光客は帰るだけだし、大会の関係者は何事もなかったかのように解散する。そして、たぶん会場の近くに住めてラッキーなどと抜かしてる若造は、また次の家を見つけては引っ越していけばいい。残した部屋は中国人の別荘にでも転売すればいいからだ。さて、残された建物や土地や商業施設はどうなるのだろうか。また取り壊して見知らぬ人々が増えたり、新しい商業施設が増えて大型のトラックが行き交うようになるのか。こうした色々な不安があるにも関わらず、建設ラッシュでサイバーなトーキョーを作るぜイエーみたいな主旨のくせに、弱者にも目配せしてますなどと東京のひ弱な僕ちゃんたちが考え付く描写と言えば、花火? お前ら電通の下請けプロダクション以下のセンスだな。

この番組は、どう考えてもオリンピックを記念して後押しするのが主旨の筈であろう。そこで、どのみち今となってはどうしようもない問題が残されているのは知っているが、でも僕らは未来に向かって進んでゆかなくてはいけないという、別の意味で推進する側の悲哀すら演出して見せようとしているように思える。オリンピックで多額の税金を使って、建設業者や資材業者や運送業者や人材派遣業者や、もちろんわれわれウェブ制作も含めた広告業界に金をばらまくことが景気を刺激する方法の一つだと割り切っているなら、花火がどうのと瑣末な情緒に訴えて「光と影」を演出してみせるなどと安っぽい見せ方をされてもどうしろというのか。そういう住人から小熊英二が話を聞いてまとめた新書でも買って読めばいいのか。

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