2019年01月07日に初出の投稿

Last modified: 2019-01-07

2019年の個人ブログと「自分にも他人にも期待しないインターネット」の時代

僕は当サイトで「ブログがメジャーな『表現』手段になる日? 冗談だろ。」というエントリーを書いたことがあったけれど、いまだにブログというか個人サイトというのをイデオロギーとか政治的なスタンスのどこかにプロットできるかどうかという観点でしかとらえていない人だとか、あるいはどういう意味であろうと自己「表現」の手段だとしか思っていない人というのがいて、はっきり言ってこういう人たちが theme setting している日本の状況こそ、些末な話題を刹那的に語って済ませる若造のブログ記事ばかりで情報や知識が蓄積しない元凶だと思うんだよね。

もちろんアメリカなんかでも、個人サイトやブログ記事から Hacker News や Slashdot へ集まってきて、高度な技術や面白いアイデアや研究者の知見が濃縮されるようなプロセスというのは、それほど多くない。しかし、日本の Twitter やスラッシュドットや日本語 reddit などに比べたら、素人がプライベートで基礎的なことが書いてあるリンク先をシェアし直すという社会的な無駄が毎日のように繰り返されるという浪費は少ない。やはり、そこに集っている人たちが一定量のコンテンツを(たとえヘッドラインだけでも)ちゃんと読んでるから、無駄なことを繰り返す頻度が低いのだろう。それこそ、日本人が集まってるソーシャル・ブックマークのエントリーにどういう話題が投稿されるかを見てると、まるで『日経ソフトウェア』のように毎年同じ時期に同じような話題が投稿されており、ここ10年くらいは、投稿する人たちが暗黙の了解としている基礎的な知識のベースラインなんて全く向上していないことが分かる。たとえば、海外では "full stack" なんて言うまでもなく、プログラマとは "developer なのであって、developer がサーバ OS やネットワークの基礎知識を持ってることくらい当たり前なのだ。したがって、そういう素養を持っていない人は無視されるのが当然であって、そこにあるのはコミュニケーションするにあたっての条件なのであり、ものを知らない人間への差別ではないのだ。しかし、日本では「やさしい」ページや「わかりやすい」説明ばかりが大量に垂れ流されては高い評価を集めるので、常に説明のレベルを落とさなくては商業的な著作物を書かせてもらえないという圧力がかかるのだ。何を書こうと、常に「今北産業」であることが要求され、「中学生にでも分かるような」本が求められる。しかし、それを読んでいるのは社会人であるから、社会人が何を読んでも中学レベルより上がっていかないのは当然だろう。

そして、これは非常に重要なことだと思うのだけれど、いまやアメリカの研究者とか技術者の方が古典的な著作やページをほじくり返して学び直してるんだよね。情報科学なら Papers We Love なんていう、小規模ではあってもよく知られるようになった活動とかは、僕が Twitter で "How about PWL Tokyo?" と提案してみたのは5年くらい前だったと思うのだが、死ぬほどつまらないライトニング・トークやセミナーを繰り返している都内の IT ゼネコンやベンチャーの若造どころか、英語で生活してきた筈の外国人技術者ですら誰も日本で Papers We Love を開催しようとしないのは、やはり何かを反映しているのだろう。

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